それ的なアレ

沖縄でドラムを叩く人、友人やバンドメンバーからはサイコパスと言われている心優しいゴミが描く壮大なゴミブログ

お金が欲しい、そうただひたすらにお金が欲しいのだ。

 

今年の目標は「お金持ちになる。」という、もはや小学校低学年でも書かない夢を描き始めたアラサーです。どうもみなさんこんにちはお久しぶりです。生きてます。

お金持ちになりたいがためにお金について書いてみようと意気込み、フンスフンスと鼻息を荒げ、キーボードをバコバコ叩いている次第でございます。



「会社のカルチャーを見るにはお金の使い方をみよ」等々、様々な有識者、ライターにより色々な「お金」の議論が展開されているのを拝見しましたが、私のお金についての率直な考えというか気持ちを発表させて頂くと、「好き。」もしくは、「くれ。」になります。



日本社会は古くから「お金」をやたらと欲するような言動は卑しいものであるとされてきました。お金に関する話には細心の注意を払うべきであるという風習があり、金! 金! と金銭面の欲望を丸出しにするのは良くないことだとされています。その文化を最大限に考慮し、全力で配慮した上で言いたい。お金が大好き最高LOVE MONEYイェイお金くれ。







「お金が、たくさん、欲しいのよ〜ん♡」





 

これは正真正銘、私の噓偽りなき真実の魂の叫びでありまさにソウル・スクリームです。そして私の『家訓』であり『座右の銘』。典型的な金の亡者と言えるでしょう。恐ろしい限りです。




まず大前提なのですが、私が企業で働くのは「お金を獲得する為」に他なりません。学生の段階で個人の資産として60億円を保有していたら、恐らく就職活動はしていなかっただろうと思います。働きはじめのボーナスで14億円が振り込まれていたら、その日に辞表を提出していたでしょう。



こういうことを言うと、よく言われますのは、「会社はバイトではない。仕事を通じて自己実現をする場だ」と怒られてしまうのですが、これに関しては「ウンコ☆ブリ」と反論させて頂きたい。自己実現をしたい気持ち・やりがいや達成感を感じたい気持ちは、「お金が欲しい」気持ちと何の関係もありません。



大前提として、お金が欲しいのです。しかし会社というのは基本的に社員の『時間』に対してお金を支払うシステムになっているので時間を使わないといけません。どうせ時間を使うなら、その時間を充実したものにしたい。それだけのこと。



つまり、どちらか一方のみが働くに当たっての「本当の理由」であるという一元論的な議論自体がナンセンス。会社は、様々な意味を持つ場所の筈であり、満足した時間を過ごしたいし、そしてその事実とは全く関係なく、お金がたくさん欲しい♡のほかにありません。







さて、そもそもなのですが、私はなぜ「お金が欲しい」のでしょうか。それはお金が多角的に自らの欲望を満たすことに貢献するからだと考えられます。まずお金があると美味しい物を食べられるので食欲が満たされますし、モテますので性欲が満たされます。



そしてお金が鬼のようにあれば自由になるので毎日たくさん寝ることが出来るので睡眠欲が満たされます。そしてお金は資本主義社会において権力の象徴であるため承認欲求が満たされ、お金を稼ぐ過程で自己実現欲求も満たされることでしょう。



こんなことを言うと、よく、「お金で買えないものもある」と怒られてしまうのですが、これに関しては、「ウンチ☆ベチョ」と反論させて頂きたい。お金で買えないものがあるかどうかと、私の「お金が欲しい」という欲望とは、何の関係もありません。



お金で買えないものがあるのかどうか。いや、それは間違いなくあるでしょう。今私が3兆円持っていたからと言ってロシアの大統領になる権利は買えませんし多部未華子と結婚することも出来ませんし槍投げ世界記録保持者の称号を得ることも出来ません。



ただ、私はこの世界に存在する万物をいっさいがっさい掌握する為にお金が欲しいわけではないのです。小さな個人的欲望を満たそうとしているだけです。よって、お金で買えないものがありますし、なお、その事実とは全く関係なく、お金が欲しい♡のです。







ところで、お金というのは、考えてみると、食欲性欲睡眠欲承認欲等々その先にある根源的な欲望と余りにも密接に結びついています。こんなにも欲望に結びついた代物は他に見当たりません。



お金それ自体は食べられませんし何でもありませんが、その背後に様々な根源的欲望の充実が結びついているので、これにより「お金」それ自体が擬似的に「直接的な欲望の対象」のように感じられるのだと思います。これこそ、お金が欲しくなる気持ちの正体。



つまり私の勝手な理論によれば、「お金が欲しい」と言っているのは、「腹が減った」と言っているのと大差ありません。自然な欲望の発表です。寿司について語れと言われても「大好き」とか「食べたい」とかしか感想がないのと同様、正直、お金に関しても、「大好き」とか「欲しい」とか以外に、特に言いたいことはありません。



しかし、このように開き直って「お金が欲しい」と大声を出すと、金の亡者であると揶揄された上に怪訝な顔をされてしまうことがあります。寿司と同じようにはいきません。人間の動機は金でなく「社会の為」に向かっているべきだ、と怒られてしまうわけです。これに関しては、「ウンポ☆ビヨ〜〜ン」と反論させて頂きたい。



いや、社会をよくすることがしたいのかどうかで言うと、実際、「したい」のです。めっちゃしたい。なぜならば、社会の為になることをした方が、ならないことをした場合に比べて様々な個人的な満足を得やすい上に、なんと「お金」すらも儲かりやすいからです。人のためにならないこと、モラルのないこと、アンフェアなやり方は、長期的にみるとお金が儲かりにくい。



つまり、「社会の為になりたい」欲望と、「お金が欲しい」欲望については、ほぼ同じ向きのベクトルを保有しているとすら言えます。なので『金の為』と『人・社会の為』の対比構造はウンポビヨンです。



ああお金が欲しい、恐ろしいほど欲しい、つまり世のため人の為になりたいし、お金が欲しい、全て欲しい全て欲しい。強欲。全て。強欲。強欲な壺。天使の施し。サンダーボルト!







なお、ここまでお金に対する真摯で一途な思いを羅列し人間のゴミと言われるリスクをとりながらひたすら大声で低俗な欲望を発表し続けてきましたが、一方、よくよく考えてみると私は「頑張る」ことがあまり好きではありません。



不必要にやたらめったら気張って活動することや、早起きをすることや、身体を酷使することや、辛い時間を過ごし我慢することが、とても嫌いなのです。頑張りたくない。どうか、頑張らずにお金を手に入れたい。



そしてさらに深刻なことに、お金と言っても宝くじや遺産といった「譲り受ける」形のお金は、嫌なのです。なぜなら、自分で稼いだ金ではないということで承認欲求・自己実現欲求が満たされる度合いが小さくなるからです。



相続したお金がいっぱいあってもカッコ良くはないし尊敬されない。お金を持つことと同時に、「お金を稼いだ」という事実が必要。だからザッカーバーグになりたい。でも頑張りたくない。



労せずしてザッカーバーグになり、さらに言うと、顔は坂口健太郎になりたい。身体は高橋一生がいい。サラサラヘアーで口臭はラベンダー。世の中にポジティブな価値を提供して億千万の資産を築きながら、気さくな人柄。若者のファッションリーダー的存在であり、関係者からの信頼もあつい、そんなザッカーバーグ



そのタレント性からテレビのバラエティー番組に引っ張りだこ。気の聞いたコメントでお茶の間をドッカンドッカンと湧かせ、誠実な人柄でファンへの神対応は有名。マウンドに立てば170kmのスライダーで三振の山を築き、走れば100mは8.4秒。アメリカとロシアの大統領を兼任しつつボクサーとして「神のフック」を武器に8階級を制覇する傍ら先日ノーベル文学賞を受賞しその翌日には代表戦でハットトリック。そんなザッカーバーグになりたい。労せずして。これ





これってなにについて書いてましたっけ?

あ、私は生きています。色々ありまくってますが生きてます。

友人の悩みを解決しようと妙案をひねり出そうとした男の末路

 

友人が、理想のデートのプランを考えないといけないから助けてくれという相談をLINEでしてきた。
なんでも記事として書くとのことでアイディアが欲しいとのことだが、それなら私にそういった仕事を回してくれれば良いのにと思ったが、こんな人間最底辺の私にすがりつくほどだ。よっぽど切羽詰まっていたのだろう。
なので私なりに考え提案をしてみた。


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朝方人間というのは人類にしか定義できないただ一つの定義なのではないだろうか

 

掲題の通りに人類を定義し直したいと思っている。人類の再定義。あまりの唐突さとスケールの大きさに何が起こっているのか理解が追いつかないと思うが、許して欲しい。私も理解がやや追いつけていない。しかし下書きに書いてあった以上、こいつをどうにかしないといけないのだ。改めて許してほしい。





さて、まずは自分という一個体の経験を語らせて頂くと、私は物心ついてからと言うもの、「眠くない朝は一度もなかった」と断言出来るほど安定して朝が眠い。毎朝眠い。それも信じられないくらい。



朝、時計が運命の時刻を刻みアラームが鳴ったあの時あの瞬間に感じる、あの絶望感。世界の終わり感。あれは如何とも形容し難いものがある。日常生活でここまでの不快感を感じることは、そうそうない。



「こんなに眠いならもういっそ死んでしまいたい。」と、毎朝思っている。大袈裟ではない。自殺願望ベースで一日の幕が開けるのだ。そしてなんやかんや死なずに顔を洗って、なんやかんや死なずに歯を磨く。



そしてなんやかんや死なずに服を着替えて、なんやかんや死なずに家を出る。結局、一度も死んだことはない。死んでしまいたいというあれは何だったんだろう。メンヘラなのかな?



いずれにしても、それほどまでに眠気と戦いながら、瀕死の状態で、命からがら仕事が始まる。無論、朝は基本的に頭がボーっとしている。これはサラリーマンであってもフリーランスだろうともそうだろう。



なんとなく09:00に仕事が始まるものの、なかなかエンジンがかからない時間が続く。何となく取引先と連絡をしたり売上を管理したり、WEB広告の状況を読んだりしながらやり過ごす。働くというよりは「やり過ごす」という表現が正しい。そして昼になる。



昼になると昼飯を鬼のように食うものだから、昼飯の後は眠い。これがもう、地獄のように眠い。地獄というのがどれだけ眠い場所なのか定かではないが、とにかくもう、地獄なのだ。そして定時になる。定時になるともう帰りたいから集中できない。



そんな一日を過ごした結果仕事は溜まる。結局なんやかんや残業して夜になる。こうして一日が終わる。





こんな日が続くと、思うのである。……な……何をやってるんだ俺は!! ……コ、このままじゃダメだ!!生活を改善しないと……!! 朝早くから仕事をして夜はさっさと仕事を切りあげる、『朝型』の、生産性の高いビジネスマンにならないと……!!!!!!!







朝型の人間にさえなれば全てが解決されるはずである。この希望のもとに、満を持して「朝型プロジェクト」が始動する。朝型の人間になる為に、満を持して早起きに挑戦することになる。



さて、もともと朝が苦手な人間がさらに2時間ほど早く起きようとすると、どうなるのかみなさんご存じだろうか。眠いとか不快とか、そういう類いのものではないやつが襲ってくる。『痛み』だ。激痛が走る。



 

信じられない時間に鳴り響くアラーム。その瞬間に、脳の内側を充分に熱した針金でグリグリとイジられているかのような、形容のし難い痛みを感じるのだ。痛い。脳が痛い。辛い。起きたくない。眠い。ぬぇむい。死にたい。死なせてくれ。早く。早く殺してくれええええ



布団の上でのたうち回りながらも「朝型になって生産的になる」という決意だけを頼りに震える手でアラームを止め、満身創痍で、フラフラのまま立ち上がる。眠い。



 

死にたい。終わった。世界の終わりだ。そんなことをブツブツと言いながら会社に着く。



 

早起きをすれば、朝、静かなオフィスで仕事が出来るとばかり思っていたのである。しかし、決してそんなことにはならない。早起きをしてクソ眠い状態で、朝、静かなオフィスで椅子に座ると、どうなるか。瞬く間に意識が遠のいていくのだ。そして始業時間に起きる。そう、



 

早くオフィスに行っても、何の意味もないのである。静かなオフィスで、鬼のように爆睡しているだけ。つまるところ、家で寝るかオフィスで寝るかの違い。だったらベッドで寝ろ。お前は馬鹿か。







こうして数日の内に朝型プロジェクトは頓挫するのだ。起床時間は、いつもの、始業時間ギリギリのやつに戻る。



しかしこの失敗から反省することはなく、その後、数カ月も経つと、ふとまた朝型になってみようかなと思う。そして数日間朝型を試して、すぐに頓挫する。



これを繰り返す。朝型になろうとしては頓挫。朝型になろううう、はい頓挫!

朝型……はい頓挫! 朝ガハイトンザ!

あれ!? 一体、僕チャンは、何をしてるんだぁあ〜い?

頭が悪いのかなぁア〜?







さて、この愚かな朝型プロジェクト頓挫プレイを繰り返しているのは自分だけだと思っていたが、友人に話を聞いた結果、けっこうな数の人間がこの「朝型を試しては頓挫する」ことを繰り返しているらしいことを発見した。



さて、いよいよ話を本題に戻そう。今回は私という人間の阿呆さや、同じように朝型になろうとして挫折する人間達の愚かさをただ露呈したいのではない。



私が全世界の生物学者に真に問いたいのは、「こんな哺乳類、他にいるのかい?」ということなのである。







「二足歩行」「遊ぶことが出来る」「言葉を用いた会話が出来る」



人間にしかないとされる特徴には色々なものがあるが、そのどれもが、本当に人間だけに固有の特徴なのかと言うと非常に怪しい。



 

ゴリラは二足歩行で歩くし、イルカは遊ぶことも言葉らしきものを使ってコミュニケーションをとることも出来ると言われている。そのどれもが人間『だけ』の、固有な特徴ではないのだ。



しかし、「朝型になろうとしては頓挫する」ことについてはどうだろうか。そんな哺乳類は、我々人類しかいないだろう。間違いない。



早起きを試みては数日で頓挫するニホンイノシシを、見たことがあるだろうか。どうにか起きてみたものの結局オフィスで寝てしまうエゾジカを、そんな阿呆なエゾジカを見たことがあるだろうか。ないだろう。そんなエゾジカはどこにもいない。



朝型を目指しては挫折する。それは人間にのみ許された営みであり、人間に固有の性質なのだ。逆に言えば、朝型になろうとしては頓挫する哺乳類、それこそが「人類」。この頓挫こそ、人間の人間たる所以なのだぁあぁぁあああ〜〜はっはhaha!!!!!





と、いうわけで、え〜っと何が伝えたかったのかと言うと、あれです。人生いろいろありましたが何とか生きてはいます。復活はしました。でもドラムとバンド活動はしばらくお休みします。でも私自身のことは宜しくお願いします。何卒宜しくお願い致します☆ 

 

うふ☆キャハハ♡

当事者意識ってなんなんだろう。

「当事者意識を持て」とよく言われた。社会人1年目、企業の上司と新人、ありがちな光景だと思う。





「当事者意識」という単語の意味がよく分からなくて、よくググった。仕事中に、当事者意識に関する色んな文献を読んだ。



自分自身が、その事柄に直接関係すると分かっていること。関係者であるという自覚。

 








僕はいろんな仕事をしてきた。アパレルだったり広告代理店だったりWEBマーケティングだったり、時にはドラムで仕事をしたりなどあったが、やることの本質は非常にシンプルで、とにかく売る、できるだけ高く売る、それが商品なのか、自分なのかというそれだけである。それを国内外問わず、できることならでたくさんやる。穴場なところを狙い、それを高く売れるところに売って利ざやを稼ぐ



良い条件でものを売るために、それを製造している人達と関係を深める。高く売る為に、それを恒常的に買っている人たちと関係を深める。情報を集める、そのために国内の様々な人達と連携する、他の部署と連携する。結果的に色々やってるように見えるが、実のところ極めてシンプルだ







当事者意識というのは、この活動を押し進める上で非常に役に立つ。利ざやが出たら自分のことのように嬉しくて、損が出てしまったら自分のお金が無くなったのかのように悲しくなれば、それはもう自分の時間や神経をどんどん仕事に投入するだろう 土日も働くに違いない。



本当に自分のことのように感じるのであれば、安い商品などを高く売り利ざやを稼ぐことに理由なんていらない。なぜやっているのか?自分のことだからやるんだ。当事者意識というのがどのように役に立つのかと言うと、単純に労力を更に投下することに一役買うという、そういうことだ。素晴らしい。





僕が仕事に当事者意識を持てなかったことに特に理由はなかった。とりあえず商品価値が上がっているように見せて、高く売る活動、それによって会社に利ざやが出る活動が、どうも自分とは余り関係のないことのように感じたという、ただそれだけ。会社が儲かってもなぁ…ぐらいにしか思わなかった。



だからまあ、最低限自分が会社にいる間はこの活動をしようと思っていたが、一方、自分ごとではないので、やらなくて良いのであればやりたくない。儲かればまあ悪い気はしないし損したらアチャ〜と思うが、まあそんな事より早く土日になって欲しい。当事者意識の無い自分と、それを持たないといけないという葛藤に苦しんだ







しかし、考えてみれば、能動的に持とうとして持った“当事者意識” なんて、これまでに1つもないような気がした。

自分が当事者意識を持っているもの ー例えば家族の事?母が病気になれば自分の事のように嫌だ。自分のドラムの方向性や、家族が悩んでるとなれば、いてもたってもいられない。



それ以外のこと、例えば友人? 友達が結婚すれば嬉しい。あとはなに?応援してる漫画家?カードゲーム?あとは何だろう






いずれにしても自分が、関係者のように感じてしまうことはどれも、“気付いたらそういう状況になってた” ものばかり


なにも当事者意識を感じないといけないというモチベーションで人に近づき、その人と友好関係を築いたなんて例はない。“築いた” のでなく、“気付いた” ら当事者だったというそれだけのことだ。







当事者意識の意味をグーグルで調べまくり、何か釈然としなかった当時の自分のモヤモヤは、いまになってその理由が少し明確になった。当事者意識を持てと言われたその時に僕が言うべきだった、上司に対する渾身のクロスカウンター、それは





「いや当事者意識って、“持ってしまうもの” なんじゃないですか? 部下に当事者意識を持たせるという管理者としての大切な業務を放り投げて、“勝手に持て” っていう言い方はどうかと思います。
新入社員の僕が当事者意識を持てるかどうかって、貴方にかかってるんです。これは、貴方に関係する事柄なんです。もっと当事者意識を持って下さい」







これだった。





そして今では、そんなことを口に出さなくて、本当に良かったと思っている。なぜならそんな事を口にしたところで何も生まれない。「あ、そうだったな、悪い。ちょっとお前が当事者意識もてるように俺も工夫するわ俺の努力不足だった」となるだろうか?絶対になりません。というか入社する段階で仕事に当事者意識を持ててるやつは、現にいっぱいいるのだ

やるべき理由は自分で見つけるもの。っていうか仕事のモチベーションを人任せにするような奴はそもそも会社に入ってくるな、控えめに言って早く死になさい



きっと静かに異動となり僕は社会人としてそこで終わったに違いない。言ってなくても社会人としてはかなり程度が低い存在なのだ。
言っていたら戸籍上から僕の存在は消えていたであろう。
しかもそんなことを言っていたら、会社を辞めた後もその会社と関連した仕事を色々とさせて貰ってる今の自分自信の働き方は絶対にありえなかっただろうなと思う。








仕事に当事者意識が持てなくても、取り敢えず自分の周りにいる人間達は自分の人生の関係者であると思って接した方が良いと思う。え?でも職場の先輩社員に対しても自分の関係者と思えない?ああ、それはねえ、人間関係というもの自体に関しての当事者意識が足りてないんだよきっと



いや、近しい人との人間関係って、長期的に考えると、ほんと君に凄く関連する大事な事柄なんだと思うよ。自分ごとだと思った方が良い、もっと当事者意識を持てよ









そんな話を、先輩風を吹かせながら後輩にした事を思い出した。当事者意識の要求という矛盾を指摘しながら、まわりまわって当事者意識を持てとドヤ顔で言う自分は何かがオカシイなって思うし、非常に恥ずかしいし、嫌な先輩だなと思い反省しております。

偉人の言葉というあなたを救うであろうソリューション


僕はあまりオシャレな服を持っておらず、オフィシャルもプライベートも、毎日似たような服を着回す傾向にあるが、そのせいで「おまえ、また今日も同じ服着てへん?」と周囲の人間にイジられることが多い







ファッションセンスというのは男性の魅力の中でも非常に重要な要素であり、このイジられ方をした瞬間、僕は人間として男として相手に敗北したことを認めざるを得ない


自分への自信が無くなり、人前に出る勇気が無くなり、そのせいで精神に異常なまでの負荷がかかり、服を着るのが怖くなり、服自体に恐怖を感じ、一般人よりも全裸でいることが多くなってしまった。全裸であることに慣れてしまった僕はやがて全裸な生き物に異様な親近感を感じ、昆虫達と戯れるようになり、そして気付けば朝食としてコオロギを食べる生活様式へと移行していた。








しかし本日、そんなファッションに悩める僕に対し、ある名言が一筋の明確な回答を与えてくれた。





「僕が毎日同じ服を着るのは、できるだけ決断の数を少なくしたいからだ。朝食に何を食べるかとか、どんな服を着るかとか、そういう小さい決断は、エネルギーを消費する。」 
by ザッカーバーグ

 








これを起死回生の一撃と呼ばず、何と呼べば良いんだ。












「千葉、また今日も同じ服着てへん?」



「私は出来るだけ決断の回数を少なくしたい。どんな服を着るかというような小さい決断は、無駄なエネルギーを消費する。くだらないことや、うわついたことに使う時間は無い。」









どうだ。。



グウの音も出まい。。これは、私でなくザッカーバーグが言っているのだ。。





私のファッションをイジってきた、煩悩にまみれた輩は、その自分の時間の無駄な使い方に頭を抱え、自分への自信が無くなり、人前に出る勇気が無くなり、そのせいで精神に異常なまでの負荷がかかり、服を着るのが怖くなり、服自体に恐怖を感じ、一般人よりも全裸でいることが多くなってしまうだろう。やがてコオロギを食べるようになった時に、私のところにヘコヘコと挨拶に来るが良い 美味しいコオロギが取れる場所を教えてやろう











それにしてもやはり、偉人の力は凄い。



全ての状況を一撃で打破出来る。言葉の重みが、凡人のそれとは全く違う。 私は偉人の力を借りれば全ての敵を粉砕出来ることに気付いた。
たとえば部屋、もしくはお家のリビングなどが恐ろしく汚いとしよう。



どのぐらい汚いかというと、
至る所にキムチやチャンジャやピザポテトが散在し、飲みかけのウイスキーとワインが無造作に置かれている。目を凝らせばチン毛のような縮れ毛が至る所に散りばめられており、それはまるで意図的に色々な場所に乗せているかのようにも見える。自分自身との議論の結果、「お好み焼きに乗せたカツオブシみたいで可愛いね」という結論に至り、現状、これらチン毛を撤去しない方針だ。

 

そんな恐ろしい部屋だと仮定しよう。



そして家に来た友人は必ずと言って良いほどその汚さを指摘し、怪訝な顔をする。なんだこの汚い部屋は、カオスじゃねえか、臭い、どうなってるんだ

そんな程度の低いゴロツキには、以下の言葉をくれてやろう







「You need chaos in your soul to give birth to a dancing star.
空を舞う星を生み出すには、あなたの魂の混沌を必要とする。 」
by ニーチェ

 














「おまえの家、マジ汚くない? ありえへんねんけど。」





「空を舞う星を生み出すには、あなたの魂の混沌を必要とする。 」













どうだ。。

開いた口が塞がるまい。。。



部屋を掃除しろ、と言いたかっただけの友人は、あなたの目指すところが to give birth to a dancing starだったことを知り、腰を抜かすだろう





二度と、あなたに対して「掃除」などという低俗な要求はしてこない筈だ。
















例えばあなたが一般人に比してケツ毛が濃いと仮定しよう。これは完全にコンプレックスだ。



このケツ毛が濃いせいで、あなたは見知らぬ人に対してケツの穴を広げて見せつけることに、精神的な抵抗がある。

普通の人であればサッと見せるところを、どうしてもモジモジしてしまう。自分のケツ毛で相手をビックリさせてしまわないだろうか。自分のケツ毛に、ウンコが絡まってはいないだろうか。自分のケツ毛に絡まったウンコに、ケツ毛が絡まってはいないだろうか







しかし、あなたのケツ毛を見て、なんだあいつ気持ち悪ぃジャングルじゃねえか、とナジってくるような輩にはこいつをお見舞いしてやろう





山は樹を以て茂り 国は人を以て盛なり
by 吉田松陰

 














どうだ



もはや意味すらも分かるまい。。





ケツ毛が汚くてジャングルみたいだ ということを指摘してきただけの友人は、あなたの「しかし、山がそのような樹木によって茂るのと同じように、国というのは人によって豊かになっていくのである。」

という主張を聞いて、目ん玉を引ん剝いて卒倒するだろう





目線の高さが全く違うのだ













これらの考察から分かることは、全ての弱点は適切な偉人達の名言を引用することでいとも容易く攻略することが可能であるという事実だ

地球には無数の名言が溢れ返っており、それを自分勝手に引用すれば良い







「貴様は常識がなってない」と部長に怒られたのであれば、速やかに言うと良い


常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。
by アインシュタイン

 

 







息子がいくつになっても結婚せず、心配になっている親御さんは、こちらの言葉がオススメだ


とにかく結婚したまえ。
良妻を持てば幸福になれるし、
悪妻を持てば哲学者になれる。
by ソクラテス

 










大学の試験で手も足も出ない難問が出題され、解答が全く分からず、単位を落とすかもしれない崖っぷちの諸君は答案に以下を記載だ

知らざるを知らずとなす
これ知るなり
(知らないことを知らないと自覚する。それが本当の知るということだ。)
by 孔子

 














いやお前は偉人の言葉を借りてテキトウなことを言ってるだけじゃねえか、お前の言葉には重みがねえし、何を言ってるかワケ分かんねえんだよ!!と言って反論してくる阿呆には、こちらの言葉を贈り私の完全勝利とさせて頂きたい




ロックの歌詞は聞き取れなくて良い
by カートコバーン