それ的なアレ

沖縄でドラムを叩く人、友人やバンドメンバーからはサイコパスと言われている心優しいゴミが描く壮大なゴミブログ

友人の悩みを解決しようと妙案をひねり出そうとした男の末路

 

友人が、理想のデートのプランを考えないといけないから助けてくれという相談をLINEでしてきた。
なんでも記事として書くとのことでアイディアが欲しいとのことだが、それなら私にそういった仕事を回してくれれば良いのにと思ったが、こんな人間最底辺の私にすがりつくほどだ。よっぽど切羽詰まっていたのだろう。
なので私なりに考え提案をしてみた。


 



さて皆さんにとって、「理想のデート」とはどのようなものだろうか。

 
男性が車に乗って女性の家の前まで迎えに行き、そのまま海沿いを颯爽とドライブ、
オシャレな洋楽の流れる車内で話を弾ませて自然と手が触れ合い、やがて信号待ちでKISS、ランチは海沿いのオシャレなFrench Restaurantでポワレとマリネ、夕暮れ時には手をつないで洋風の街like Parisを闊歩し夜は星空の元で愛を語ってから抱きしめ合う2人の姿が浮かぶ水面 it’s Ocean、and 最後はオーロラをバックに満を持して…

oh……DEEEEEP KISS!! 

 
 
 


……こんな感じだろうか。

 
 

勿論、こういったロマンチックでオシャレなデートに憧れる気持ちは分かるものの、私は本当に2人が幸せに包まれる究極のデートは、そうじゃないと思っている。

「ただテキトウにいい感じの街あたりに集合してマクドナルドでも食べてから街をブラブラして映画でも観る」そんなグダグダで低レベルな、代わり映えしないデート。これこそが最高のデートなのだ。

ただし、こういうグダグダで代わり映えしないデートを「究極の悦びに満ち溢れた伝説のデート」へと昇華させるには、ちょっとしたコツが必要である。何をする必要があるのか。

 


事前準備だ。


しかも、「男子がちょっとしたサプライズを用意する♡」とかそんな生易しい、ふぬけた準備ではない。周囲がDON-BIKIする程の、DOを超えた、TETTEI-TEKIな、JUN-NBIだ。いいだろうか。

 
 
 


まず、ファーストステップとして、このグダグダな池袋デートをするに当たり、男女は当該デート日までの間、「2週間に及ぶ徹底的な断食」を行う。



少し想像して貰えば分かる通り2週間何も食べないのは相当苦しいが、
そこは“究極のデート”の実現の為に、少しばかり我慢しよう。

この断食の期間、勿論、何をしても問題はないが、食事だけは絶対に取らないようにしよう。ただし栄養素が不足し健康を害するとマズいので、酵素ドリンクは入念に摂取。水分の補給も怠らないようにし、日々、命からがらギリギリの状況で生き長らえる。

3日程度の断食であれば聞いたことがあるかもしれないが、2週間の断食ともなってくるといよいよ生命の存続に関わりかねない危険な活動になってくる。もう、デートどころの騒ぎでは一切ない。生きるか死ぬかである。

 
 
 
さて、この苦しい断食期間を経て、とうとうデート当日を迎える。想像して欲しい。この日、男女は2週間ぶりに「食」にありつくことが出来るのだ。それはそれは、もう、食べ物を目の前にして狂喜乱舞することになるだろう。

「テリヤキマックバーガー」を見れば洪水の如く唾液が分泌され、「チキンマックナゲット」を口に運ぶ度に白目を引ん剝いて悶絶することになる。

フライドポテトを食べるたび、「oh… oh…」と言って涙を流す女性。彼女に対して、男性は店員から貰っておいたケチャップソースをそっと差し出して言う。「would you need this…?」。女性はケチャップの箱を隅から隅まで舐め回して言う「… …is……this……LOVE?」

 
デートにおける“食事”の善し悪しを決めるのは、オシャレさや店のグレードや食材の云々では無い。「お腹の空いてない状態で食べるフレンチ」と、「生命の存続に関わりかねない危機的な状況で食べるマクドナルド」、どちらがより多くの幸福をもたらすだろうか?

さて、無論この理想のデートは、「断食 → マクドナルド」というeasyなコンボのみで終わるわけではない。続いて「街をブラブラ」する。

 
この何の変哲もない活動を究極の悦びへと昇華させる為に、男女は、更なる準備をする必要がある。それは、「7週間に及ぶ引きこもり生活」である。

 

 

「デート日まで7週間さあ、お互いさあ、ちょっと家の中で引きこもるって、どう~?♡」こんな感じで、ラフに女性に提案をしてみると良いだろう。

 
「了解いい~!」という返事と共に、可愛い猫のスタンプが送られてくる。これで準備完了。

 
男女は全ての予定をキャンセルし、長期休暇を取得し、自分の部屋の中で壮大な引きこもり生活をオッ始めることになる。何もせず、窓もカーテンも締め切り、薄暗い部屋の中でただ一人。

 
そこはテレビもラジオもインターネットもない、虚無の世界。部屋には虚空という概念だけが充満している。

 
誰とも話さず、ただ一人、50日間もの間うずくまり、ひたすら無に帰する。当然のことながら、精神に異常を来すだろう。デートどころの騒ぎでは一切ない。生きるか死ぬか。

 
そのような厳しい期間を経て迎えたデート当日。それは男女にとって、実に約50日ぶりの“外出”となるのだ。

 
道が、標識が、信号が。その全てが男女の心を掴み、揺さぶり、奮わせることになる。日の光や通行人の表情。今まで気にもしていなかった街に蔓延る“当たり前”の全てが煌びやかに、妖艶に輝いてみせる。

 
街の雑踏を肌で感じ、女性は、涙を流しながら言う「oh……Paris……?」
男性は涙を拭い、太陽を見つめ、頷きながら言う。「yeah……London」

 

 
さて、デートのラストは映画館。映画に行くだけなんて楽チンなデートではあるが、この映画鑑賞というイベントも、ちょっとした男女の準備で極上の時間に変えることが出来る。

 
改めて考えてみて欲しいのだが、「映画」というのは“映画自体の面白さ”というアンコントローラブルなリスクをはらんでいる。クソ映画に当たってしまったら最後、2人の空気は白けてしまうだろう。

 
しかし、よくよく考えてみると、「面白い」とか「面白くない」とか、そういう評価は、人間にとって相対的に感じられるものでしかない。人間は、“他の活動や時間と比較して面白いのか”を比べる力があるだけで、何も万物に絶対的な点数を付けるマシーネリーの類いではない。他の映画を知っているからこそ、他の楽しさを知っているからこそ、“面白くない”映画が存在し得るのだ。

 
そこで、当該デート日における映画の価値、すなわち映画の“相対的な価値”を最大化する為に、男女はデート日までの期間、死ぬほど面白くない活動に明け暮れることにする。

 
そう、六法全書の模写の反復の繰り返しのリピート」だ。

 

“六法”とはご存知、日本における主要な6つの法典のことであり、即ち憲法民法、商法、刑法、民事訴訟法および刑事訴訟法を指すわけだが、これらの主な法令を収録した書籍が六法全書なのであり、この書物は法律に興味のない人間にとって不可解且つ難解な書物以外の何物でもない。

 
外来語とも感じられる理解不能な文字列。それを、ただ読み解くのみならず、“模写”しなくてはいけない。いや、それのみならず、“模写”を、“反復”しなくてはならない。いや、それどころではない。

 
なんと、“模写の反復”を繰り返さないといけない。そして、“模写の反復の繰り返し”を、リピートしなくてはならないのだ。なんという状況だ。

 
正直、模写の反復ぐらいまでは聞いたことがあるが、模写の反復の繰り返しは、一度も聞いたことがない。模写の反復の繰り返しのリピートとなってくると、もう、全く意味が分からない。

 
このような忌まわしいシチュエーションは男女の精神に異常なまでの負荷をもたらし、模写の反復の繰り返しのリピート作業による度を超えたストレスにより、両者ともにハゲ散らかしてしまうことは必至だろう。

 
当然、デートどころの騒ぎでは一切ない。生きるか死ぬか。

 
さあ、迎えたデート当日、前日までの怒濤の六法全書模写反復繰り返しリピート活動によりハゲ散らかしたツルッッパゲの男女は、遂にその悪夢から解き放たれ、“映画”を鑑賞することが出来るのだ。六法全書からの、突然の、映画。……最高!!

 
もうそれが何の映画でも……良い!! 映画というだけで、最&高。クソ映画、クソポルノ、B級映画、フリ無しオチ無し大根役者、さあドンとこい。何でも楽しい! 六法全書より……楽しい!!! うっっっふふうふふふうふ~~ん♡♡♡♡!!!!

 
 
 
 
 
 
デートは以上になります。それでは。


※ちなみにこの案はボツを食らい、精神異常者のレッテルが貼られました。世知辛い