それ的なアレ

沖縄でドラムを叩く人、友人やバンドメンバーからはサイコパスと言われている心優しいゴミが描く壮大なゴミブログ

忙しくなったら回ろう、そうだ回ろう。

 



依頼を、人から軽い気持ちで引き受けてしまう。

 

友人の依頼の場合。即答してしまいがちである。「オッケーイ!」







引き受けた時の精神構造は非常にシンプルだ、この任務をこなすのは今の自分ではなく未来の自分。私は、“依頼主” と “未来の自分” との、橋渡しをしたに過ぎない。そう私は受託者ではなく仲介者、さあイケ、頑張るのだ未来の自分、あとは任せた。







かつて他人だと思っていた “未来の自分” がなんと自分自身の関係者であったという予想外の結末を知り腰を抜かすのに、そう多くの時間はかからなかった。




あれから数日。奴が軽い気持ちで引き受けた様々な依頼は、今、山積みになり、関係者である私の目の前で悠然と胡座をかいている、それが死の旋律を奏でている。






しかし物事を、いつまでもいつまでもダラダラと後回しにするべきではない。今日ついに、あのコトワザが火を噴いた「善は急げ」 今日だ、今日やるしかない、急ぐんだ急ぐんだ、すぐに、すぐに手をつけて何もかも、依頼を、1つ残らず、急いで、急いで万物是存在乃或限リ、急いで木っ端微塵にしてやるぜこの野郎クソ野郎ううおお!!うおお!!!







急ぐ急ぐと言っているが、やみくもにがむしゃらに急いでも効果は期待出来ない。そこであのコトワザも火を噴いた「急がば回れ」 さあ回れ、回るんだ回ろう、回りまくるしかない。これだけのイソガバを前にして回らないわけにはいかないだろうグルグルグルんんんっうおおおっ! 









善は急げ、急がば回れ。人生における正式な “解" は、これらの連立方程式を解くことで、突然に得られた。






「善は回れ」








もう、ウダウダ言う必要は、無い。“善い行い” とは、とにかく “回る” ことだ。回れ、さあ、善く生きたければ一心不乱に、バレリーナのように、コマのように、地球のように、なりふりかまわず自転するのだ 全ての迷える魂へ、いま救いの信仰はここに完成した。聖書も座禅も断食も必要ない。人間の価値は、その人間の為す遠心力に比例する。








一向に消化されないタスクを前にして、日は沈み、そして男性はクルクルと回っている。それは悟りの回転であり、決意のダンスであり、悲しみのエクストリームスピンである。なぜ回っているのか、いつから回っているのか、今では本人も分かっていない。








こうして、今日という日も終わるだろう さて、新たな依頼がきたら引き受けよう。ホイホ〜イすぐやっときま〜す と言って引き受け全部放置してクルクル回るんだ、どうせその依頼を実際にこなすのは未来の自分。未来の自分君、君もキャパ超えで苦しんでいるなら僕と一緒にクルクル回らないかい、こうして回っていると、全てを忘れられる 憎かったあいつだって今では愛おしくなってる。




という訳で、意味もなく回転しているメガネをかけた成人男性を見かけたらそれが私です。
コーヒーなどを奢ると、その一年無病息災で過ごせることでしょう。


それではまた。