それ的なアレ

沖縄でドラムを叩く人、友人やバンドメンバーからはサイコパスと言われている心優しいゴミが描く壮大なゴミブログ

ことわざの意味を、僕はよく知らないのではないだろうか

 

 


ほんとにどうでも良い事でこんなこと書くのも恥ずかしいし申し訳すら無いんですが、犬も歩けば棒に当たる の正しい意味が分かるかと友達に聞かれ、当たり前だろw と返してからふと、実はその正しい意味が全く分かっていないことを発見し先程から頭を抱えています。そんな週始めの夕方



さっさとググってしまいたいのですがさすがに小学生でも知ってるであろうこのコトワザの意味が分からないのが悔しくて、ググらずに歯を食いしばって必死に考えを巡らせ優に20分以上が経過しようとしています、仕事に圧倒的に支障をきたしています。





熟考の末、現段階で最も妥当性が高いと判断している予想は、「犬のような感覚の鋭い空間把握能力の高い生き物でも、棒に当たってしまうこともある。転じて、達人でも時には失敗してしまう様」





これです。





つまりこれは、猿も木から落ちる、カッパの川流れ、弘法にも筆の誤り と同一のラインという理解です。このラインナップの一角を担うコトワザとしての「犬も歩けば棒に当たる」。使用法は「あの佐藤が物理で55点だなんて、犬も歩けば棒に当たるもんだな。」





しかし、こんな似たような状況を表す為に4つも似たようなコトワザが必要なのかだけは甚だ疑問で、いくらなんでも重複が過ぎるんじゃないかと気がかりで自信が持てません。日本人は古来から達人がミスを犯す状況が好きなんでしょうか?我々は、揚げ足取り一族の末裔なのでしょうか









次に可能性が高いと思っている予想は「犬のような棒を避ける修正のある生き物でも、歩いていると自然に棒に当たってしまう程に棒が多いこと。転じて、竹やぶ等の程度が秀でている様。」これです




こちらも悪くないですが、非常に使い時が限られてしまうな という印象です。使い方は「犬も歩けば棒に当たってしまう程の竹やぶに、遭難者達は絶望した」






犬も歩けば棒に当たる_








あるいは可能性があるかなと思っている仮説は「犬のように素早い生き物でも、スピードを落として歩いてしまうと棒に当たってしまうこともある。スピードを出している方が逆に物事というのは万事安定的に進むものだ。転じて、既存事業の拡大に傾倒し変革を受け入れられなかった企業が破壊的イノベーションの波に呑まれて行く様」





こちらは、いちコトワザが、ワンちゃんを使って表現せんとする事象としてはややダイナミック過ぎるきらいがあるかな という点が気がかりです











そして深い考察の末に先程到達した1つの仮説、それは、別に「転じない」というものです






つまりこれは、なにも ”転じて” 比喩的にある事柄を巧みに説明する訓戒の類ではなく、ただ単に一匹の犬が外を歩いていたところ、シンプルに、何か棒状の物にブツかってしまった  という特定の事象の発表以外の何物でもない、という恐ろしい仮説です





すなわちこのコトワザの意味は、と聞かれれば無論文字通り「四足歩行の毛深い生き物が、誤って電柱か何かに激突しました」というだけで、使用法としては「昨日、犬も歩けば棒に当たって死んだ」













研究を進めるにつれ、この、犬も歩けば棒に当たるの、「も」が凄く気になってきています。これまで、 



(あの)犬(でさえ)も、歩けば棒に当たる(こともあるのだ)  







というような前提条件の元に議論を進めてきたわけですが、もしかすると、そもそも「も」へのアプローチがズレていることにより考察が行き詰まっているのかもしれないという疑いを持つようになってきています。そこで浮上した1つの仮説、そうそれは、「犬+も」ではなく、これは「犬も」という1つの名詞なんじゃないかという発想のコペルニクス的転回、つまりこれは「イヌモ」というASIMOみたいな近未来型のマシーナリーの名称であり、 つまりこの「犬も歩けば棒に当たる」の真の意味、そうそれは















イヌモ、歩けば棒に当たるニモ!! !











と、ここまで議論を進めたところで我に返り仕事に戻ることになったのが今です失礼致しました。







こちらからは以上です。