それ的なアレ

沖縄でドラムを叩く人、友人やバンドメンバーからはサイコパスと言われている心優しいゴミが描く壮大なゴミブログ

お金が欲しい、そうただひたすらにお金が欲しいのだ。

 

今年の目標は「お金持ちになる。」という、もはや小学校低学年でも書かない夢を描き始めたアラサーです。どうもみなさんこんにちはお久しぶりです。生きてます。

お金持ちになりたいがためにお金について書いてみようと意気込み、フンスフンスと鼻息を荒げ、キーボードをバコバコ叩いている次第でございます。



「会社のカルチャーを見るにはお金の使い方をみよ」等々、様々な有識者、ライターにより色々な「お金」の議論が展開されているのを拝見しましたが、私のお金についての率直な考えというか気持ちを発表させて頂くと、「好き。」もしくは、「くれ。」になります。



日本社会は古くから「お金」をやたらと欲するような言動は卑しいものであるとされてきました。お金に関する話には細心の注意を払うべきであるという風習があり、金! 金! と金銭面の欲望を丸出しにするのは良くないことだとされています。その文化を最大限に考慮し、全力で配慮した上で言いたい。お金が大好き最高LOVE MONEYイェイお金くれ。







「お金が、たくさん、欲しいのよ〜ん♡」





 

これは正真正銘、私の噓偽りなき真実の魂の叫びでありまさにソウル・スクリームです。そして私の『家訓』であり『座右の銘』。典型的な金の亡者と言えるでしょう。恐ろしい限りです。




まず大前提なのですが、私が企業で働くのは「お金を獲得する為」に他なりません。学生の段階で個人の資産として60億円を保有していたら、恐らく就職活動はしていなかっただろうと思います。働きはじめのボーナスで14億円が振り込まれていたら、その日に辞表を提出していたでしょう。



こういうことを言うと、よく言われますのは、「会社はバイトではない。仕事を通じて自己実現をする場だ」と怒られてしまうのですが、これに関しては「ウンコ☆ブリ」と反論させて頂きたい。自己実現をしたい気持ち・やりがいや達成感を感じたい気持ちは、「お金が欲しい」気持ちと何の関係もありません。



大前提として、お金が欲しいのです。しかし会社というのは基本的に社員の『時間』に対してお金を支払うシステムになっているので時間を使わないといけません。どうせ時間を使うなら、その時間を充実したものにしたい。それだけのこと。



つまり、どちらか一方のみが働くに当たっての「本当の理由」であるという一元論的な議論自体がナンセンス。会社は、様々な意味を持つ場所の筈であり、満足した時間を過ごしたいし、そしてその事実とは全く関係なく、お金がたくさん欲しい♡のほかにありません。







さて、そもそもなのですが、私はなぜ「お金が欲しい」のでしょうか。それはお金が多角的に自らの欲望を満たすことに貢献するからだと考えられます。まずお金があると美味しい物を食べられるので食欲が満たされますし、モテますので性欲が満たされます。



そしてお金が鬼のようにあれば自由になるので毎日たくさん寝ることが出来るので睡眠欲が満たされます。そしてお金は資本主義社会において権力の象徴であるため承認欲求が満たされ、お金を稼ぐ過程で自己実現欲求も満たされることでしょう。



こんなことを言うと、よく、「お金で買えないものもある」と怒られてしまうのですが、これに関しては、「ウンチ☆ベチョ」と反論させて頂きたい。お金で買えないものがあるかどうかと、私の「お金が欲しい」という欲望とは、何の関係もありません。



お金で買えないものがあるのかどうか。いや、それは間違いなくあるでしょう。今私が3兆円持っていたからと言ってロシアの大統領になる権利は買えませんし多部未華子と結婚することも出来ませんし槍投げ世界記録保持者の称号を得ることも出来ません。



ただ、私はこの世界に存在する万物をいっさいがっさい掌握する為にお金が欲しいわけではないのです。小さな個人的欲望を満たそうとしているだけです。よって、お金で買えないものがありますし、なお、その事実とは全く関係なく、お金が欲しい♡のです。







ところで、お金というのは、考えてみると、食欲性欲睡眠欲承認欲等々その先にある根源的な欲望と余りにも密接に結びついています。こんなにも欲望に結びついた代物は他に見当たりません。



お金それ自体は食べられませんし何でもありませんが、その背後に様々な根源的欲望の充実が結びついているので、これにより「お金」それ自体が擬似的に「直接的な欲望の対象」のように感じられるのだと思います。これこそ、お金が欲しくなる気持ちの正体。



つまり私の勝手な理論によれば、「お金が欲しい」と言っているのは、「腹が減った」と言っているのと大差ありません。自然な欲望の発表です。寿司について語れと言われても「大好き」とか「食べたい」とかしか感想がないのと同様、正直、お金に関しても、「大好き」とか「欲しい」とか以外に、特に言いたいことはありません。



しかし、このように開き直って「お金が欲しい」と大声を出すと、金の亡者であると揶揄された上に怪訝な顔をされてしまうことがあります。寿司と同じようにはいきません。人間の動機は金でなく「社会の為」に向かっているべきだ、と怒られてしまうわけです。これに関しては、「ウンポ☆ビヨ〜〜ン」と反論させて頂きたい。



いや、社会をよくすることがしたいのかどうかで言うと、実際、「したい」のです。めっちゃしたい。なぜならば、社会の為になることをした方が、ならないことをした場合に比べて様々な個人的な満足を得やすい上に、なんと「お金」すらも儲かりやすいからです。人のためにならないこと、モラルのないこと、アンフェアなやり方は、長期的にみるとお金が儲かりにくい。



つまり、「社会の為になりたい」欲望と、「お金が欲しい」欲望については、ほぼ同じ向きのベクトルを保有しているとすら言えます。なので『金の為』と『人・社会の為』の対比構造はウンポビヨンです。



ああお金が欲しい、恐ろしいほど欲しい、つまり世のため人の為になりたいし、お金が欲しい、全て欲しい全て欲しい。強欲。全て。強欲。強欲な壺。天使の施し。サンダーボルト!







なお、ここまでお金に対する真摯で一途な思いを羅列し人間のゴミと言われるリスクをとりながらひたすら大声で低俗な欲望を発表し続けてきましたが、一方、よくよく考えてみると私は「頑張る」ことがあまり好きではありません。



不必要にやたらめったら気張って活動することや、早起きをすることや、身体を酷使することや、辛い時間を過ごし我慢することが、とても嫌いなのです。頑張りたくない。どうか、頑張らずにお金を手に入れたい。



そしてさらに深刻なことに、お金と言っても宝くじや遺産といった「譲り受ける」形のお金は、嫌なのです。なぜなら、自分で稼いだ金ではないということで承認欲求・自己実現欲求が満たされる度合いが小さくなるからです。



相続したお金がいっぱいあってもカッコ良くはないし尊敬されない。お金を持つことと同時に、「お金を稼いだ」という事実が必要。だからザッカーバーグになりたい。でも頑張りたくない。



労せずしてザッカーバーグになり、さらに言うと、顔は坂口健太郎になりたい。身体は高橋一生がいい。サラサラヘアーで口臭はラベンダー。世の中にポジティブな価値を提供して億千万の資産を築きながら、気さくな人柄。若者のファッションリーダー的存在であり、関係者からの信頼もあつい、そんなザッカーバーグ



そのタレント性からテレビのバラエティー番組に引っ張りだこ。気の聞いたコメントでお茶の間をドッカンドッカンと湧かせ、誠実な人柄でファンへの神対応は有名。マウンドに立てば170kmのスライダーで三振の山を築き、走れば100mは8.4秒。アメリカとロシアの大統領を兼任しつつボクサーとして「神のフック」を武器に8階級を制覇する傍ら先日ノーベル文学賞を受賞しその翌日には代表戦でハットトリック。そんなザッカーバーグになりたい。労せずして。これ





これってなにについて書いてましたっけ?

あ、私は生きています。色々ありまくってますが生きてます。