それ的なアレ

沖縄でドラムを叩く人、友人やバンドメンバーからはサイコパスと言われている心優しいゴミが描く壮大なゴミブログ

久しぶりに連絡をくれた友人は、死ぬほど滑舌が悪い

 


高校の同級生で、高2,高3に至っては同じクラスの隣席だった伊藤君。卒業してから何十年経ったのか定かではないが、その後も成人式や地元に戻ったときなどには呑みに行ったり、ゲームをしたりするそんな数少ない友人の一人である。



伊藤君はクラスで最も数学の問題を解くのが早かったし、あらゆる授業で機械のように奇麗にノートをとっていた。私は全ての授業で眠っていたので、授業が終わると大抵「またノート取れなかったんだけど..」と彼に困った顔をしてみせた。彼は特に見返りも求めず、嫌がる素振りも無く、「ホ〜イ」と言って毎度ノートを見せてくれた





 

真面目で誠実。物事をストレートに言うので言い方はキツく聞こえるが、嘘はつかないし態度にも裏表が無いので信頼できる。





しかし、彼には決定的な問題点が1つあった。滑舌である。






滑舌が悪いと言っても種類があるが、彼の場合は、サ行とタ行が言えない。そしてイ列にも弱みを抱えている。ウ列にも若干の苦手意識を持っているようだ。かなり致命的だ。





伊藤君の滑舌の悪さは学校生活やバイト先などで決定的なハンディキャップとなる。初めて会った隣のクラスの女子に「すみません、僕、滑舌悪いんで」と言いたいが、その「滑舌」という単語は、彼にとってはかなりの強敵である




「su`hJJまa:4pqん、e`*qw;:*/f+aferr8t、わるいんで」





教室に響き渡る、鈴虫の羽音かのような特有の破裂音。こ、この人は、一体なにがわるいんだろう?体長が悪いのか?大丈夫か?聞き返したら失礼か? 





唖然とする女子高生を前にして、彼はドヤ顔を決め込んでいる。





女性の好みも、非常に独特だ。「ちせ」や「さち」と言った名前の女性に出会うと、それがどんな美女でも彼はそっぽを向いてしまう。一方、「まな」や「あやか」と言った名前の女性は大好物だ




発音がしやすい名前の女性に出会った時のガッつき方は、それはもう、物凄い。全国のまなさんとあやかさん、暗い夜道で鈴虫の羽音かのような特有の破裂音を聞いたら、すぐに110番だ。後ろには伊藤君がいる。







そんな伊藤くんの、この世で最も嫌いな時間は、「7時(しちじ)」 この為、彼は飲み会や遊びの開始時間を絶対に7時にしない



学校が終わり、一旦家に帰り着替えたりなんなりし、遊びの集合などに最も丁度良い時間である7時をわざわざズラしてくる伊藤君。一度だけ伊藤君が幹事をしたことがあったが、その時に私に確認してきた。 「千葉君、今度の飲み会なんだけど、6時開始と8時開始、どっちが良いかな?」





7時が良い




滑舌の困難は時間だけに留まらない。彼は何と、自分の苗字である「伊藤(いとう)」が大の苦手なのだ。
なんなら私の千葉(ちば)すらも怪しい、なので彼がお店を予約する時はいつも「阿部(あべ)」を使う、もはや別人し、仲間内にその名字の人間はいない。




飲食店各位に申し上げたい。「8時からご予約の阿部さま」の真の姿は、









「7時からご予約の伊藤さま」である、と









そんな伊藤君はカラオケに行くと、Soul'd Outを好んで熱唱する。十八番は “dream drive” 





ジャパニーズhip hopの中でも最高峰の超高速ラップ、滑舌はその生命線だ。凄まじい勢いで捲し立てる彼が何を言っているのかは、無論、誰にも分からない。それでも、そのチャレンジングな姿勢と、持ち前の真面目を全面に押し出した必死の表情、燃ゆるファイティングスピリッツに、オーディエンスは感動し気付けば総立ち



*;@;d@;dw;w;@w;a;ewea.:; ヘェェーイ!!!!! と言うかけ声に合わせて、気付けば全員がヘェェーイ!!!!と声をあげている 





その瞬間、誰もが彼の特有の破裂音に酔いしれる。 その言葉が分からなくても、その魂に共鳴する。





※Soul'd Outを知らないという方は、私が稚拙ながらSoul'd Outのことを書いた記事があるので、時間を持て余して死にそうだという方はどうぞコチラへ





真面目で滑舌の悪い伊藤君が部活に加わった日から、「伊藤に怒られる」という理由で部員は練習やミーティングなどに遅刻しないようになった。






伊藤君に怒られる際に一番怖いのは、正論で詰められることではない。怒っている彼が何を言っているのか、サッパリ聞き取れないことだ







やがて彼によりバドミントン部に秩序が生まれ、規律が生まれ、"TO DO LIST" なるものが生まれた。滑舌というのは実際、さほど重要でなかった。一方、真面目であるというシンプルな強みは、侮れない 







連絡をくれてありがとう。元気そうで何よりである。
彼がこのブログを見ないことを、切に願うばかりだ。

忙しくなったら回ろう、そうだ回ろう。

 



依頼を、人から軽い気持ちで引き受けてしまう。

 

友人の依頼の場合。即答してしまいがちである。「オッケーイ!」







引き受けた時の精神構造は非常にシンプルだ、この任務をこなすのは今の自分ではなく未来の自分。私は、“依頼主” と “未来の自分” との、橋渡しをしたに過ぎない。そう私は受託者ではなく仲介者、さあイケ、頑張るのだ未来の自分、あとは任せた。







かつて他人だと思っていた “未来の自分” がなんと自分自身の関係者であったという予想外の結末を知り腰を抜かすのに、そう多くの時間はかからなかった。




あれから数日。奴が軽い気持ちで引き受けた様々な依頼は、今、山積みになり、関係者である私の目の前で悠然と胡座をかいている、それが死の旋律を奏でている。






しかし物事を、いつまでもいつまでもダラダラと後回しにするべきではない。今日ついに、あのコトワザが火を噴いた「善は急げ」 今日だ、今日やるしかない、急ぐんだ急ぐんだ、すぐに、すぐに手をつけて何もかも、依頼を、1つ残らず、急いで、急いで万物是存在乃或限リ、急いで木っ端微塵にしてやるぜこの野郎クソ野郎ううおお!!うおお!!!







急ぐ急ぐと言っているが、やみくもにがむしゃらに急いでも効果は期待出来ない。そこであのコトワザも火を噴いた「急がば回れ」 さあ回れ、回るんだ回ろう、回りまくるしかない。これだけのイソガバを前にして回らないわけにはいかないだろうグルグルグルんんんっうおおおっ! 









善は急げ、急がば回れ。人生における正式な “解" は、これらの連立方程式を解くことで、突然に得られた。






「善は回れ」








もう、ウダウダ言う必要は、無い。“善い行い” とは、とにかく “回る” ことだ。回れ、さあ、善く生きたければ一心不乱に、バレリーナのように、コマのように、地球のように、なりふりかまわず自転するのだ 全ての迷える魂へ、いま救いの信仰はここに完成した。聖書も座禅も断食も必要ない。人間の価値は、その人間の為す遠心力に比例する。








一向に消化されないタスクを前にして、日は沈み、そして男性はクルクルと回っている。それは悟りの回転であり、決意のダンスであり、悲しみのエクストリームスピンである。なぜ回っているのか、いつから回っているのか、今では本人も分かっていない。








こうして、今日という日も終わるだろう さて、新たな依頼がきたら引き受けよう。ホイホ〜イすぐやっときま〜す と言って引き受け全部放置してクルクル回るんだ、どうせその依頼を実際にこなすのは未来の自分。未来の自分君、君もキャパ超えで苦しんでいるなら僕と一緒にクルクル回らないかい、こうして回っていると、全てを忘れられる 憎かったあいつだって今では愛おしくなってる。




という訳で、意味もなく回転しているメガネをかけた成人男性を見かけたらそれが私です。
コーヒーなどを奢ると、その一年無病息災で過ごせることでしょう。


それではまた。

ことわざの意味を、僕はよく知らないのではないだろうか

 

 


ほんとにどうでも良い事でこんなこと書くのも恥ずかしいし申し訳すら無いんですが、犬も歩けば棒に当たる の正しい意味が分かるかと友達に聞かれ、当たり前だろw と返してからふと、実はその正しい意味が全く分かっていないことを発見し先程から頭を抱えています。そんな週始めの夕方



さっさとググってしまいたいのですがさすがに小学生でも知ってるであろうこのコトワザの意味が分からないのが悔しくて、ググらずに歯を食いしばって必死に考えを巡らせ優に20分以上が経過しようとしています、仕事に圧倒的に支障をきたしています。





熟考の末、現段階で最も妥当性が高いと判断している予想は、「犬のような感覚の鋭い空間把握能力の高い生き物でも、棒に当たってしまうこともある。転じて、達人でも時には失敗してしまう様」





これです。





つまりこれは、猿も木から落ちる、カッパの川流れ、弘法にも筆の誤り と同一のラインという理解です。このラインナップの一角を担うコトワザとしての「犬も歩けば棒に当たる」。使用法は「あの佐藤が物理で55点だなんて、犬も歩けば棒に当たるもんだな。」





しかし、こんな似たような状況を表す為に4つも似たようなコトワザが必要なのかだけは甚だ疑問で、いくらなんでも重複が過ぎるんじゃないかと気がかりで自信が持てません。日本人は古来から達人がミスを犯す状況が好きなんでしょうか?我々は、揚げ足取り一族の末裔なのでしょうか









次に可能性が高いと思っている予想は「犬のような棒を避ける修正のある生き物でも、歩いていると自然に棒に当たってしまう程に棒が多いこと。転じて、竹やぶ等の程度が秀でている様。」これです




こちらも悪くないですが、非常に使い時が限られてしまうな という印象です。使い方は「犬も歩けば棒に当たってしまう程の竹やぶに、遭難者達は絶望した」






犬も歩けば棒に当たる_








あるいは可能性があるかなと思っている仮説は「犬のように素早い生き物でも、スピードを落として歩いてしまうと棒に当たってしまうこともある。スピードを出している方が逆に物事というのは万事安定的に進むものだ。転じて、既存事業の拡大に傾倒し変革を受け入れられなかった企業が破壊的イノベーションの波に呑まれて行く様」





こちらは、いちコトワザが、ワンちゃんを使って表現せんとする事象としてはややダイナミック過ぎるきらいがあるかな という点が気がかりです











そして深い考察の末に先程到達した1つの仮説、それは、別に「転じない」というものです






つまりこれは、なにも ”転じて” 比喩的にある事柄を巧みに説明する訓戒の類ではなく、ただ単に一匹の犬が外を歩いていたところ、シンプルに、何か棒状の物にブツかってしまった  という特定の事象の発表以外の何物でもない、という恐ろしい仮説です





すなわちこのコトワザの意味は、と聞かれれば無論文字通り「四足歩行の毛深い生き物が、誤って電柱か何かに激突しました」というだけで、使用法としては「昨日、犬も歩けば棒に当たって死んだ」













研究を進めるにつれ、この、犬も歩けば棒に当たるの、「も」が凄く気になってきています。これまで、 



(あの)犬(でさえ)も、歩けば棒に当たる(こともあるのだ)  







というような前提条件の元に議論を進めてきたわけですが、もしかすると、そもそも「も」へのアプローチがズレていることにより考察が行き詰まっているのかもしれないという疑いを持つようになってきています。そこで浮上した1つの仮説、そうそれは、「犬+も」ではなく、これは「犬も」という1つの名詞なんじゃないかという発想のコペルニクス的転回、つまりこれは「イヌモ」というASIMOみたいな近未来型のマシーナリーの名称であり、 つまりこの「犬も歩けば棒に当たる」の真の意味、そうそれは















イヌモ、歩けば棒に当たるニモ!! !











と、ここまで議論を進めたところで我に返り仕事に戻ることになったのが今です失礼致しました。







こちらからは以上です。

「知り合いかも」という機能は男性を社会的に殺しにきている。

 

 

 

いま世の男性を最も悩ませている問題は、これではないかと思う。トランプ政権の動向、キュレーションメディアの行く末、それらを遥かに凌ぐ、大問題だ



我々男性は何気なくfacebookを開き、何の気無しにボケっとタイムラインを流し読みし、誰かの結婚報告と誰かの赤ちゃんの写真と誰かの退職エントリー、あとは意識の高いエントリーにニュースのシェアを眺め、そしてふと「知り合いかも」と書かれた枠の中を見て、彼女を発見する



全く聞いたこともない苗字に全く聞いたこともない名前の、奇麗なお姉さん。間違い無くこちらを見つめている。共通の友達がそう、4人





申し訳ないが、「知り合いかどうか」など、苗字と名前を見れば2秒で分かる。聞いたこともない苗字で聞いたこともない名前。断じて知り合いではない。しかし、「知り合いかも♡」と書かれた亜空間の窓から、奇麗なお姉さんはこちらを見つめている。 

む、むむむ...?









...知り合いかも ...か







いや、確かにこの人と知り合いかもしれないな... あ、確かに何か聞いたことあるかも? ン?一回どっかで会ったことあるかな? ン? ん?







「知り合いであって欲しい」という強い欲望はいつしか男性の記憶を曖昧にし、そして男性は静かに奇麗なお姉さんの名前をクリックする。ほお... 共通の知り合いはこいつとこいつか... お?他にも写真があるじゃないの...  ほお... なるほど... ふむふむ...








一通り確認した結果、やはり冷静に考えてこの人とは人生で一度たりとも出会ったことが無いことを確信する。間違いない。この人は知らない人だ。たまたま共通の友達が数人いるだけだ。何を気持悪いことをしてるんだ自分は。男性は落ち着き、友達申請をせずにそっとfacebookを閉じる









明くる日、男性は何気なくfacebookを流し読みする。婚約の報告に転職エントリー、ブログ更新のお知らせに料理の写真、いつもと変わらぬ平和なタイムライン、その日常を粉砕し、「知り合いかも」と書かれた異次元のフィールドに、彼女を発見する。









全く聞いたこともない苗字に、全く聞いたことのない名前。ああ、この人はあれだ。昨日も「知り合いかも」に出てきた奇麗なお姉さんだ。知り合いじゃない人だ。







しかしお姉さんは今日もこちらを見つめている。「知り合いかも♡」と言いながら、否、「知り合いだよ♡♡」と叫びながらこちらをガン見している。むむむむっっむんむぬ? 男性はお姉さんの名前をクリックする。おお、そういえばこいつが共通の友達だったな。ははは。 お、こんな写真も。ほっほっほ









男性は冷静になる。違う。違うぞ。知り合いじゃない。昨日も確認したじゃないか。一度も会ったことはない。ないのだ。ないものは、ないのだ。












男性は、繰り返す。明くる日も、明くる日も男性はお姉さんに出会う。お姉さんはタイムラインの日常をブチやぶり、「知り合いじゃん♡♡♡」と書かれた窓から現れる








明くる日も、そして明くる日も。お姉さんはタイムラインの平和を滅ぼし、「私たち、知り合いじゃないの♡♡♡」と書かれた額縁の内側から出現する。男性は毎日お姉さんに出会う








そして60日が経つ























男性は何気なくfacebookを開き、何の気無しにボケっとタイムラインを流し読みし、誰かの結婚報告と誰かの赤ちゃんの写真と誰かの退職エントリー、あとは意識の高いエントリーにニュースのシェアを眺め、そしてふと「知り合いかも」と書かれた枠の中見て、彼女を発見する






見たことのある苗字に、見たことのある名前の、奇麗なお姉さん。間違い無くこちらを見つめている。共通の友達がそう、4人





見慣れた名前をクリックして共通の友達やその他の情報を確認する。おお、知ってるわ。そうそう。ああ、この人、あれだ

















知り合いだわ。
















男性は友達申請を送り、メッセージを送る。







「こんにちは。先々月くらいに、お会いしましたよね?どこか忘れちゃったんですが。」















「それからと言うもの」











「僕たち」











「毎日会ってません?」















「一昨日も」



















「昨日も」





















「今日も」

























こうして男性は無事、性犯罪者になっていくんだろうなぁと、平和な土曜日の昼下がりに思うわけなんです。


みなさん良い週末を

沖縄も寒くなりました。みなさんいかがお過ごしでしょうか?

 


先日の話。次の予定まですこしの時間余裕があったため、何気なくスタバに入った。

シャレ乙な空気を楽しんで一人満足気な笑みを浮かべる生粋のスタバユーザー、それがアタクシなのだ。



いつもの通り、ホットコーヒーのトールサイズを頼んだ。「345円になります」 



指定された金額を払うために、財布の中を確認する。1000円札を取り出そうと思い、ふと小銭入れを覗くと相当枚数の硬貨が入っている。おや、これは探せばピッタリ払えるかもしれない。



ジャラジャラと小銭をかき分けて、ついに100円玉3枚と10円玉4枚を見つけた。あと5円玉が…、あれ?ない。5円玉ないか。



あ、でも1円玉が、あ、1円玉が5枚ある。あれ?なんで1円玉、5枚もあるんだろう。まあ、いいか。丁度払えたし。ピッタリ払えてなんだか気分が良い。



 

私の差し出した硬貨を引き取った店員は、その対価として、すでに準備を終えていたホットコーヒーを差し出してきた。こちらがジャラジャラとやっている間にサッといれたのだろうか。スタバのホットコーヒーはいつも準備が早い。「お待たせ致しましたホットコーヒーのトールサイズで御座います。」





 

 

 

 

 

 

オマタセ☆イタシマシタ...?











 

 

 

何かがおかしい。私の記憶が正しければ、私はホットコーヒーを受け取るまでに1秒たりとも「待って」はいない。むしろ待っていたのは僅差で先にホットコーヒーの準備を終えてしまった相手の方だろう。



 

しかし相手の店員は時間をとってしまい申し訳ないとばかりに「オマタセ☆イタシマシタ」を唱えた。確かに唱えた。そして許して下さいとばかりにペコリと頭を下げている。なぜだ。なぜなんだ。



 

彼女のお待たせ致しましたが正しいと仮定すると、それはつまり、彼女が私を「待たせてしまった」と思っているということなのであり、2人の体感した時間に「ズレ」が生じているということだ。



 

改めて彼女の顔を見つめると、表情からして、私が20秒ほどジャラジャラしている間に、彼は5分ほどの時間を過ごしていたようである。



「5分ほど待たせてしまい、すみません」そんな顔をしている。

 

そんなトーンでのオマタセ☆イタシマシタ。一方の私は20秒しか過ごしていない。特殊相対性理論



 

恐らくこれは、特殊相対性理論を用いて説明するしかないだろうと思う。この理論をご存知だろうか?



 

これは今から100年ほど前にアインシュタインという死ぬほど頭の良いアフロ風の外国人男性が自分の舌を露出した状態で提唱した理論であり、あらゆる物理学の見識を無視して大胆に一部だけ抜き取ると、「速く移動している物体ほど、ゆっくり時間が流れる」のだという。



 

「速く移動している」、というのは文字通り鬼のようなスピードで移動しているということであり、具体的には光の速さに近いレベル感である。例えば私とあなたが同じ時計をし、2つを同じ時刻を指し示す状態にセットする。2つの時計の指す時刻は15:00。



 

 

その後私が宇宙船にのって鬼のようなスピードで宇宙を旅した後、帰ってくる。すると私の時計は16:00を指していて1時間しか進んでいないが、あなたの時計が指しているのは17:30。あなたは、2時間半を過ごしている。これは、実際に起こる現象だ。



これが、沖縄のスターバックスで起こってしまった。そう解釈するしかない。私の時間は20秒しか流れなかったが、店員の口ぶりから彼女の時間は間違いなく4分程度は流れているのだ。



 

この揺るぎない事実が指し示すたった一つの事実。それは私が「鬼のようなスピードで動いていた」ということである。



 

自分自身が、鬼のようなスピード、それこそ光速に近いスピードで動いていたのかというとそんな自覚は一切なかったが、確かに今思い出してみるとスタバの店内は思ったよりも寒く、少しブルブルと震えていたということはある。



 

自分では、ただ「寒いので少しブルっと来た」くらいだと思っていたが、恐らくその「ブルブル」が光の速さに限りなく近い異次元な反復運動となっており、自分は意図せずして驚異的なスピードで左右に動く光速の肉塊と化していたのだ。



それにより私の時間がゆっくり流れ、“店員の時間” と “私との時間” の間に、ズレが生じてしまった。凄い事象だ。



ちょっとした身震いによる身体全体の動きが、意図せず光速に近付いてしまった。これは正に自らの卓越したインナーマッスルが為した奇跡であり、今後寒気により他人との時間にズレが生じてしまう事案には、充分気をつけないといけない。



 

 

 

 

そして気を取り直して作業でもしようと思った私はしかし、ふと更なる恐るべし事実に気付いた。それは私が先ほど光速で左右に移動している間、私以上のスピードで動いていた物体の存在。私の「指」だ。



 

 

思えば、「私」が小刻みに光速で左右に揺れている間、1円玉を探すべくジャラジャラと動いていたその「指」は、私本体のスピードに加えて、オントップで鬼のように素早く動いていた。



 

ジャラジャラ、ジャラジャラ。指は私のブルブルに加えて自発的な動きを独自に追加することで、結果的に光速の75兆倍を遥かに凌ぐスピードで動き倒し、財布の中の小銭達は指に鬼シェイクされることで狂ったように舞い踊り、砕け散り、狂喜乱舞し、小銭入れはエクストリームなカーニバルと化していた。



 

そう、その間、「指」は「私本体」よりも圧倒的に速いスピードで動いていたのだ。特殊相対性理論に基づいて考えれば、私が20秒だと感じていたその期間は、「指」にとっては3秒くらいの出来事だっただろう。



そこには明確に時間のズレが生じていたはずだ。つまり私は指に「お待たせ致しました」と言わないといけないのか...?





 

違う。ここで指に対して私が「お待たせ致しました」を言ってしまうと、かつて私が店員から感じた違和感と全く同じ違和感を、「指」に与えてしまうことになる。光速で動いていた指にとっては、あれはあくまで3秒程度の出来事だったのだ。私が指に「お待たせ致しました」を言う必要はない。



 

 

そして何より、自分が「自分の指」に「お待たせ致しました」を言う必要があるのか・ないのかという問題に関しては、特殊相対性理論の議論以前に、より重要な「人間としての常識的な振る舞い」という観点が絡んで来る。そこは外国人やカップルで賑わう、スターバックスの片隅。



 

「自分の指に語りかける男性」の存在は、他のお客様を圧倒してしまう可能性が極めて高いだろう。一人で椅子に腰掛けた男性が自分の指をマジマジと見つめ、何かを思い詰めたような表情で指に向かって、「大変、お待たせ致しましたぁぁぁああああああああああぁぁあああっぁぁあああ!!!!」





 

それこそ今度は店内の時間が完全に「止まって」しまうかもしれない。堪え難い空気感になる。それだけは避けないといけない。



 

 

そんなことをずっと考えてスタバにいました。予定には無事に遅刻しました。

 

鍋とか、したい季節ですね。