それ的なアレ

沖縄でドラムを叩く人、友人やバンドメンバーからはサイコパスと言われている心優しいゴミが描く壮大なゴミブログ

当事者意識ってなんなんだろう。

「当事者意識を持て」とよく言われた。社会人1年目、企業の上司と新人、ありがちな光景だと思う。





「当事者意識」という単語の意味がよく分からなくて、よくググった。仕事中に、当事者意識に関する色んな文献を読んだ。



自分自身が、その事柄に直接関係すると分かっていること。関係者であるという自覚。

 








僕はいろんな仕事をしてきた。アパレルだったり広告代理店だったりWEBマーケティングだったり、時にはドラムで仕事をしたりなどあったが、やることの本質は非常にシンプルで、とにかく売る、できるだけ高く売る、それが商品なのか、自分なのかというそれだけである。それを国内外問わず、できることならでたくさんやる。穴場なところを狙い、それを高く売れるところに売って利ざやを稼ぐ



良い条件でものを売るために、それを製造している人達と関係を深める。高く売る為に、それを恒常的に買っている人たちと関係を深める。情報を集める、そのために国内の様々な人達と連携する、他の部署と連携する。結果的に色々やってるように見えるが、実のところ極めてシンプルだ







当事者意識というのは、この活動を押し進める上で非常に役に立つ。利ざやが出たら自分のことのように嬉しくて、損が出てしまったら自分のお金が無くなったのかのように悲しくなれば、それはもう自分の時間や神経をどんどん仕事に投入するだろう 土日も働くに違いない。



本当に自分のことのように感じるのであれば、安い商品などを高く売り利ざやを稼ぐことに理由なんていらない。なぜやっているのか?自分のことだからやるんだ。当事者意識というのがどのように役に立つのかと言うと、単純に労力を更に投下することに一役買うという、そういうことだ。素晴らしい。





僕が仕事に当事者意識を持てなかったことに特に理由はなかった。とりあえず商品価値が上がっているように見せて、高く売る活動、それによって会社に利ざやが出る活動が、どうも自分とは余り関係のないことのように感じたという、ただそれだけ。会社が儲かってもなぁ…ぐらいにしか思わなかった。



だからまあ、最低限自分が会社にいる間はこの活動をしようと思っていたが、一方、自分ごとではないので、やらなくて良いのであればやりたくない。儲かればまあ悪い気はしないし損したらアチャ〜と思うが、まあそんな事より早く土日になって欲しい。当事者意識の無い自分と、それを持たないといけないという葛藤に苦しんだ







しかし、考えてみれば、能動的に持とうとして持った“当事者意識” なんて、これまでに1つもないような気がした。

自分が当事者意識を持っているもの ー例えば家族の事?母が病気になれば自分の事のように嫌だ。自分のドラムの方向性や、家族が悩んでるとなれば、いてもたってもいられない。



それ以外のこと、例えば友人? 友達が結婚すれば嬉しい。あとはなに?応援してる漫画家?カードゲーム?あとは何だろう






いずれにしても自分が、関係者のように感じてしまうことはどれも、“気付いたらそういう状況になってた” ものばかり


なにも当事者意識を感じないといけないというモチベーションで人に近づき、その人と友好関係を築いたなんて例はない。“築いた” のでなく、“気付いた” ら当事者だったというそれだけのことだ。







当事者意識の意味をグーグルで調べまくり、何か釈然としなかった当時の自分のモヤモヤは、いまになってその理由が少し明確になった。当事者意識を持てと言われたその時に僕が言うべきだった、上司に対する渾身のクロスカウンター、それは





「いや当事者意識って、“持ってしまうもの” なんじゃないですか? 部下に当事者意識を持たせるという管理者としての大切な業務を放り投げて、“勝手に持て” っていう言い方はどうかと思います。
新入社員の僕が当事者意識を持てるかどうかって、貴方にかかってるんです。これは、貴方に関係する事柄なんです。もっと当事者意識を持って下さい」







これだった。





そして今では、そんなことを口に出さなくて、本当に良かったと思っている。なぜならそんな事を口にしたところで何も生まれない。「あ、そうだったな、悪い。ちょっとお前が当事者意識もてるように俺も工夫するわ俺の努力不足だった」となるだろうか?絶対になりません。というか入社する段階で仕事に当事者意識を持ててるやつは、現にいっぱいいるのだ

やるべき理由は自分で見つけるもの。っていうか仕事のモチベーションを人任せにするような奴はそもそも会社に入ってくるな、控えめに言って早く死になさい



きっと静かに異動となり僕は社会人としてそこで終わったに違いない。言ってなくても社会人としてはかなり程度が低い存在なのだ。
言っていたら戸籍上から僕の存在は消えていたであろう。
しかもそんなことを言っていたら、会社を辞めた後もその会社と関連した仕事を色々とさせて貰ってる今の自分自信の働き方は絶対にありえなかっただろうなと思う。








仕事に当事者意識が持てなくても、取り敢えず自分の周りにいる人間達は自分の人生の関係者であると思って接した方が良いと思う。え?でも職場の先輩社員に対しても自分の関係者と思えない?ああ、それはねえ、人間関係というもの自体に関しての当事者意識が足りてないんだよきっと



いや、近しい人との人間関係って、長期的に考えると、ほんと君に凄く関連する大事な事柄なんだと思うよ。自分ごとだと思った方が良い、もっと当事者意識を持てよ









そんな話を、先輩風を吹かせながら後輩にした事を思い出した。当事者意識の要求という矛盾を指摘しながら、まわりまわって当事者意識を持てとドヤ顔で言う自分は何かがオカシイなって思うし、非常に恥ずかしいし、嫌な先輩だなと思い反省しております。