見たまま感じたまま

沖縄でドラムを叩く人、友人やバンドメンバーからはサイコパスと言われている心優しいゴミが描く壮大なゴミブログ

好きなものは好き、嫌いなものは嫌い

タイトルの通りで、好きなものと嫌いなものははっきりしている。

そんな小学校低学年の感想文のような出だしである。

ピュア100%文章童貞、思春期の中学生がエロい単語を辞書で引くぐらいピュア

 

 

でもこの感覚は大人になればなるほど使いにくいものになっていくのでる。

嫌いなものや、クソみたいなものにも、「付き合い」というなんとも因果な小難しいものが絡んでくるとおおっぴらに嫌い、クソみたい、金返せと大声で言えなくなるものである。

 

 

などとちょっと前までの僕は思っておりましたが、

その程度で離れていく知り合いや、友人ならその程度なのではないか

という、非常に暴論ではあるが境地にたどり着いた2018年

 

 

人間誰しもが嫌われずにいたいものである。

しかしながら、良くないものを、まぁこれはみんな褒めてるしいいのかもとか

まぁ面白くないけど、当たり障りないように褒めておくかとか

そのことに果たしてなんの意味があり、なんの生産性があるのか……

生産性のない人間代表、ベスト非生産人間の僕がこんな事を言うのもなんなのだが、

それ無駄じゃね??と気が付き始めた。

 

 

当方これでもバンドをしているので、知り合いのライブだとかにも顔をだすことがあるのだが、なんとも身内ノリで馴れ合いとか傷のなめあいが多すぎる気がするのだ。

 

 

沖縄というのはコミュニティもかなり狭い、だからなのか、身内で固まりむだな傷の舐めあいが横行している。

なんとも無駄なのだろう、最近強く感じてきた。

それは作品、バンド、諸々のクオリティを下げるいっぽうなのではないのか、

本当にその作品やバンドが好きなのであれば、良くないものには良くない!と声を上げるべきなのではないのであろうか、

 

 

リスナーのレベルが低いという言葉もあるが、そうではなく、

脳死しているのではないのであろうか、

友人だから褒める、知り合いだから褒める。

誰かが褒めてたからとりあえず褒める。

それは本当に自分の気持ちなのだろうか、本音の感想なのだろうか?

 

 

いや、まてよ……

 

 

 

 

ということは、この理論を使えば沖縄で人気のバンドが作れるのでないだろうか?

 

 

 

誰かに高評価してもらい、それを拡散、沖縄の狭いコミュニティにぶちこむ、

 

 

それを見た人たちは、こんだけ評価されてるんだ、良いものに違いない!!

と勘違いなりなんなりで勝手に良いものとして認識、

ライブに来始める。

なにがかっこいいかよくわかんないけど、とりあえずこれがかっこいいと言っておけば安全!

高評価の嵐、下手なことは言えない空気、アンチは抹殺、隠れアンチは断罪、

これが俺たちのスタンダードなんだ!!!というアイデンティティの確立。

 

 

 

書きながら頭痛くなった。

登場人物が総じてIQ低い、なろうの小説かよ、異世界に転生してバンドでもするんか

まずこの日記書いてる人のIQが低い、性格も悪い、見た目が犯罪者予備軍

 

 

 

まぁそんなこんなですが、僕は自分の感覚と価値観はぶれないで生きていこうと思いました。

好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、

友達でも良くないものには糞ダサいって言おう。

聞くに耐えなかったとちゃんと伝えよう。

Twitterで言ったら絶対フォロワーが100人は減る&ブロックされる。

 

 

おぉ怖い、

 

 

 

 

まぁ今日はこんな感じです。