それ的なアレ

沖縄でドラムを叩く人、友人やバンドメンバーからはサイコパスと言われている心優しいゴミが描く壮大なゴミブログ

頑張らない事を肯定するということ


僕は大学生時代、特に何も頑張っていなかったので、就活の時に「学生時代に頑張ったことは何か」と聞かれて随分と苦労しました。





なにせ、心底何も頑張っていないのです。部活に精を出している人や留学に行ってる人は良いなあと思いました。彼らは明らかに何かを頑張っている。それに比べて、自分の頑張って無さといったらありません。適当に遊びながら適当にバイトしていたら学生が終わってしまったわけで、何かを頑張っていたなんて口が裂けても言えません。勉強もしていません。ビジコンにも参加してません。どうすんだYO





そんな中、「学生時代に頑張ったことは何か」というこの恐怖の質問にどのように答えれば良いのか、フンフンとうなりながら頭を悩ませ、どうにかブレイクスルーを得るべく脳筋を酷使し続けた結果、ある日究極の回答にたどり着きます。それは、何かを成し遂げたかのようなドヤ顔で「私は、何も頑張ってはいません。」と回答するというもの。どういうことか。





この一言だけでは、ただの意表をついた馬鹿だと思われてしまいそうですが、この奇抜な回答をするや否や強烈なロジックで追撃し相手の脳天に痛恨の一撃を叩き込むことで面接官を圧殺するのがこの回答の真の狙いです。そこは緊張感の充満する面接室。「何も頑張ってはいません。」という受け答えが宙に浮いたその刹那、淡々としたトーンで冷静に話を続けます。「私は、何も頑張らないということを、信念を持って成し遂げたのです。頑張らないことを頑張った、とでも言いましょうか。」





唖然とする面接官に対して、悠然と足を組み、落ち着いた口調で畳み掛けます。頑張るという認識に潜む罠を指摘し、独自の理論を展開するのです。「先ず大前提なんですが、『頑張る』というのは我々にとって、極めて特殊な意味を持つ活動だと思うんです。」





「我々は、小さい時からとにかく『頑張る』ように、と教えられてきました。習い事を頑張れ。勉強を頑張れ。スポーツを頑張れ。頑張ることは無条件で正義なわけです。何かを頑張ると、親や教師に褒めてもらえますね。そうやって条件付けされて来たわけです。頑張れば報酬が得られる。パブロフの犬です。」





この辺りで面接官の様子は大分おかしくなっているでしょう。ポカンと口を空けているはずです。ガン無視して続けます。さらにトーンを強め、自説を展開するのです。

 

「つまりですね、」





 

「『頑張る』というのは、ある種、無条件で報酬を得られる最も簡易な手段として脳の中にインプットされるわけです。頑張ることと、褒められること。この2つが極めて強い相関関係にあると、脳が無意識に認識しているのです。すると人は、頑張らなくても良い環境に放り込まれても、頑張ろうとします。頑張ることは報酬に繋がる筈だと本能的に感じているからです。むしろ、何かを頑張っていないと不安にすらなってしまいます。」





「これは『頑張る』というプロセスを褒められ続けた結果、頑張ること自体がいつからか目的化してしまった状態です。本来は目的があって、その達成の手段として頑張るが存在しているはずですが、『頑張る』ことを報酬と強く結びつけたことで、このような歪な事態に陥ってしまいます。」





面接官は開いた口が塞がらないのみならず開いた口からダラダラとヨダレを垂らしているでしょう。一切の躊躇無く続けます。「私も、大学に入った時、危うく『頑張り』かけてしまいました。周りには部活や勉強や何かを頑張っている人がたくさん居たからです。」



「頑張る人を見ることで、本能的に、何かを頑張らないといけないんじゃないかと思いました。とにかく頑張っていないと落ち着かない。しかしですね、そこで安易に頑張ってしまうことなく、私は信念を持って、『頑張らなかった』のです。『頑張っている自分』になりたいという理由だけで闇雲に頑張るということに対して、大胆に疑問を投げうった。後天的に獲得した本能に、立ち向かったのです。」





「良いですか。殆どの人が頑張っている中で、全く頑張らないこと。これには相当な『気概』『情熱』が必要です。頑張らない奴の方が特殊なわけです。頑張っていない状態を身体が感知すると、言いようの無い不安が押し寄せてきます。何かを頑張っていれば押し寄せてくることの無かった不安達が、嵐のように押し寄せてくるのです。」





「私はこれら押し寄せてくる不安から一切逃げることなく、阿修羅となってそれらの前に立ちはだかり、真正面からガップリ四つに組み合いました。具体的に何をしたのか、とにかく『何もしなかった』のです。そしてひたすら脳内に押し寄せてくる不安を、ひたすら脳内で払拭し続けました。血で血を洗う死闘です。」





このあたりで面接官は泡を吹いて倒れているでしょう。無視して続けます。「あの時私に『信念』が伴っていなかったら、不安に押しつぶされて何かしらのアクションを起こしてしまっただろうと思います。とにかく英語の勉強だとか、とにかく資格を取るだとか、『頑張り』に逃げていたことでしょう。しかし私は逃げなかった。孤独な戦い。私を支えたのは、私の不屈の精神力だったのです。」







ここでゆっくりと立ち上がって腕を組み、倒れた面接官の周りを歩きながら眉一つ動かさず無表情のまま続けます。「面接官さん。何も頑張らないことによる『不安』の、本当の恐ろしさを知っていますか? 不安というのは単調にではなく、波を打つかの如く押し寄せてくるのです。大きな不安が押し寄せてきた次の日、不安は一度静まります。しかしさらにまた次の日、前回よりも大きな不安が押し寄せてくるのです。私は、不安が『波動』であることを実感しました。それは確実に振幅と波長を伴って押し寄せてきます。そう、丁度、便意と同じようにね。」





面接官は白目を引ん剝いてピクピクとケイレンしています。失禁もしています。つまりこの時点で誰もこの『不安の波動説』を聞いていないわけです。しかし今やオーディエンスなど、二の次三の次。さらに語気を強め、鼻息を暴発しながら続けます。「不安の波を乗り越えるたび、次に襲って来る不安の波を想像して、怯えます。次は、この波よりも大きな波が襲って来る。次は不安に飲み込まれてしまうかもしれない。圧倒的な不安を目の前にすると、自我が崩壊し、不安を払拭する為に我を忘れてがむしゃらに頑張りたいという気持ちが現れます。とにかく学生団体を立ち上げたい、とにかく自分を磨きたい、そう思います。」





「しかしね、何度も不安の波を乗り越えている内に、不思議な感覚になってくるんですよ。次の波はどんな波だろう。もっと凄い波が来るんだろうか。もっと恐ろしい波が来るんだろうか。見たこともないような波が押し寄せて来て、私を押しつぶしてしまうんだろうか。さあ来い。来てみろ。もっと来い。もっと来るんだ。」





「いつからか、ビッグウェーブを前にして恐怖ではなく言いようの無い興奮を感じている自分が居るんです。何て言うんでしょう。サーファーズ・ハイみたいな状態が訪れるんです。いつしか波の大きさは、そのまま快楽の大きさへと繋がっていく。自分を今迄まで苦しめていたものとの、奇跡の調和です。恐怖と快感は表裏一体だったことを知ります。」





面接官の鼻の穴からは、血が垂れています。耳や目やつむじからも血が吹き出ています。血まみれです。その流血をピチャリと革靴で踏みしめながら無視して続けます。「ここまで行った時に、自分は何かを超越したことを感じました。もう、『頑張らない』ことで押し寄せてくる不安なんぞでは、この私を飲み込むことは絶対に出来ない。自分を縛り付けて来た不安に、勝利したわけです。いつしか心の平穏を手に入れ、やれと言われれば一生『頑張らない』ことだって出来る、そこまで到達しました。解脱に近い状態かもしれません。」





「不安を克服し平穏が訪れた後の世界はね、とても不思議でしたよ。それまで毎日のように荒々しい波と戦っていたのに、そこが急に『海』ではなくて『お花畑』になるんですね。ただひたすら暖かくて、穏やかで心温まる世界が続いています。永遠の愛に触れたことを実感します。」





「そこでようやく、自分は地球、いや宇宙の一部なんだと気付きました。優しさとかそういう理屈を抜きに、人の為になることをしようと思いましたね。自己というのは何かより大きな枠組みの中の一部を担っている存在でしかない、そう感じたんです。この命は何の為にあるのか。ようやくその答えが分かった気がしました。」







救急隊員が面接室に押し寄せてきて、面接官をタンカーに乗せて運びます。心肺機能が低下している。面接官は極めて危険な状況にあります。慌ただしく運ばれていく面接官。鳴り響く救急車のサイレン。彼の最期を見届けながら告げます。「勿論この壮絶な戦いの間、私が具体的に何をしているのかと言えば、家でジッとしていただけです。何もしてはいませんでした。これはあくまで内面の物語です。」





「このように私は何も頑張らなかったのです。実に空虚な学生生活でした。面接官さん、聞いていましたか?」