腹が立つという感情はなぜ起こるのか、
人間誰しも生きていたら腹が立つことがある。
イライラしたり怒ったり、ストレスが溜まってトゲトゲしくなったり、
生きていて腹がたったこともない、怒ったことも、ストレスも感じたことはない、
そんな人はいないだろう、いるのであれば聖母、もしくは菩薩だそれは、
大体腹が立つなどは対人関係などで起こりやすい、
かくいう僕も、腹が立つ事はたくさんある。
イライラもするし、ぶち殺したくなる感情が湧き上がる事もある。
しかしふと思うのだ。
なぜ、腹が立つのか、なぜ怒りたくなるのか、
一体僕はなにに腹を立てているのか?
そう、ふと思ったのだ。
腹が立つ、怒りが湧く、この感情はどういうときに起こりうるのだろうか、
自分が嫌なことをされたとき、自分の提案や考えを頭ごなしで却下されたとき、そういった事が続いた時、
大体こんな感じだろう。
一回目は許せても、何回もされるとそれは途方もない怒りに変わる。
仏の顔も三度までという言葉があるぐらいだ。
たしかに何回も嫌なことをされたり、否定されたら怒る。
菩薩や聖母も助走をつけて殴りかかってくるだろう。
しかしだ、僕は一つ気がついた事がある。
腹を立てたり、怒るという感情は、自分を上の位置に置いているから起きうることなのではないだろうか?と、
この素晴らしい自分がなぜこんな事をされるんだろうか、この高尚な素晴らしい全知全能である僕の考えを否定しやがって!みたいに、
いつの間にか他人を下に見て、自分は偉い人間だと勘違いをしているのではないだろうか?ということである。
人間、自分より下のもの、弱い者などになにかされると嫌悪感というものが出るものである。
漫画やドラマなどで見られる、エリートが不良を許せない、社会のゴミだ!!と言い放つのが良い例かもしれない、あれはエリートが自分を偉いと思っており、不良などは社会の弱者だと思っているからでるのだろうと思う。
そう考えると、思い当たる節がある。
他人に過度に期待をしていたり、僕はこんなに色々頑張っているのに、などという様々なファクターが見つかってくる。
他人を理解しているという思い上がり、期待しているという勝手な押しつけ、まったくもってありがた迷惑な話である。
僕ごときの人間が何をやってるんだと、そんな大した人間でもない僕がなにを思い上がっているんだと、
自分はこんなに頑張っている。
こんなもの当たり前であるし、世の中にはもっと頑張っている人もいるし結果もしっかり残している人がいるものだ。
そう僕はどこかで思い上がっていたのだ。
気づかないうちに自分は偉いと勘違いしていたのだ。
気がつくとあっさりと解決するものだ。
自分はたいした人間でもなく、偉くもないから腹が立つ道理はおかしいのだ。
これに気がつくと、対人関係で腹が立っていたことがある程度消化出来てきた。
この文章を打ちながら気がついてきたことである。
もちろんすべてを消化しきれていない、この感覚に気がついたばかりで、まだこの身体に染み付いていないからだ。
対人関係で腹が立つ、ストレスを感じるというものは、他人を見下しているという良くない状況を見直しできることだと、平成最後の12月に気がついた。
シンプルだけど、個人的にはアハ体験である。
また一つ成長できたのかなと思うのである。
そしてもう一つ気がついたこと、
怒りん坊をいう言い方は可愛いなというものである。
激怒している人、イライラして当たり散らしている人、と聞くと嫌な感情が湧いてくるが、怒りん坊なんだよねあの人と聞くと、なんだかマイルドな雰囲気に感じる。
怒リンボウと記載しても良いだろう。
なんだかポムポムプリンのような可愛さが出てきたではないであろうか、
怒リンボウだぞ!プンプン!!とやって見せることで、場が和む、
ギスギスした雰囲気の場にはならないのだ。
なんて素敵な言葉なんだ怒りん坊、
これはドンドン使っていこう。
自己紹介でも使っていこう、「僕は怒リンボウだから気をつけてね☆プンプン!!」
自分がやっているところ想像して言葉にできない怒りや殺意が湧いてきた。
成長なんぞしていなかった。むしろ偏差値下がったんじゃないか平成最後、
まぁ今日はこんな感じです。