「来年は飛躍の年にします。」と僕は忘年会で言うのであろう。
多分言う、どこかしらで言う、忘年会か、もしくは新年会とかで言う、間違いない。
来年はどういった一年にしていきますか?
みたいなことをこの12月あたりから聞かれ始める。
そこでよく耳にするのは「飛躍の年にします。」という言葉だ。
ふと思い出してみれば、去年や一昨年もこの飛躍の年という言葉を聞いた気がする。
僕もどこかで無意識のうちに使っていたかもしれない、
友人に至っては、5年ほど飛躍の年を迎えている。いや知らないだけで10年ぐらい使ってるかも知れない、
毎年のように、なにも考えず「飛躍の年」を使うのは、「飛躍しかしない生き物」にカテゴライズしてもいいのではないだろうか?
もはやホモ・サピエンスというものよりも、鳥類、カラスや鳩、文鳥などと同じなのではないかと思えてしょうがない今日このごろでございます。
「飛躍」という言葉は大きく飛び上がる、すなわち「急成長する」ということのたとえで使用していると思うが、一年間で1.2倍ほど成長、良くて1.5倍ほど成長するぐらいにとどめておけば良いものの、「飛躍」を使用することで5倍ほどの成長を見込んでいるように感じる。
急成長するベンチャー企業のような上り調子、ドカンと成長し飛躍しているイメージ
これを10年飛躍しようとしている友人に当てはめると、単純に計算しても5の10乗、
9,765,625倍になります。
恐ろしい伸び代です。976万倍、恐ろしい飛躍、フリーザ様の53万という数字が可愛く感じます。
976万倍というワードの恐ろしさもさることながら、
なにが976万倍なのかがわかっていないというところがより恐ろしさを加速させています。
得体のしれない物が976万倍し、飛躍している。
もはや恐怖のなにもでも無いのです。
「なにかわからないものが常人よりも976万倍された男」という飛躍の化物に友人はなっています。
なにが強化されているのかわからないのであれば、対策が取れない、
しかも976万倍強化されているので、生半可な対策では対抗できないであろう。
そして今年もこの時期がやってきた。
来年もまた飛躍しようとするに違いない、976万倍をまた5倍しようとするのだ。
その数値は4880万倍、およそ5千万倍の飛躍をしようとするだろう。
かくいう僕も今年の忘年会、来年の新年会では飛躍しようとするだろう。
しかしたかがしれている。3年ぐらいの飛躍、125倍ぐらいが関の山だ。
だがこの友人は5千万倍の飛躍、人知を超えた飛躍の年だ。
もはや数字がインフレを起こしすぎていてよくわからない、というか最初からなにが5千万倍になろうとしているのかもよくわかっていないのだ。
そして気がついた。ある時までは手段であったはずの「飛躍」はいつしか目的にすり替わっているのだ。
友人は気がついているのだろうか…このまま飛躍を続ければどんどんと恐ろしい数字を叩き出すということに……
なにかを成すための飛躍ではなく、もはや「飛躍するための飛躍」に変貌し、
その飛躍はコントロールを失い、自我をもち、永久に飛躍し続ける化物に変わっているということを…
このまま飛躍し続ければ、10年後には95,367,431,640,625倍になり、20年後には
931,322,574,615,478,515,625倍になる。
平成が終わり新しい年号に変わり、そこで産まれた赤ちゃんが成人になった頃、
僕の友人は、9垓3132京2574兆6154億7851万5625倍の飛躍をするものになっているのだ。
「9垓(がい)」という数字を人は体験し、体現したことがあるのだろうか?
もはやそれは人類とは呼べない代物なのではないだろうか?
恐ろしい、恐ろしすぎる。
平成が終わるというのに、こんなしょうもないことを書いている自分が一番恐ろしい
まぁ今日はこんな感じです。