それ的なアレ

沖縄でドラムを叩く人、友人やバンドメンバーからはサイコパスと言われている心優しいゴミが描く壮大なゴミブログ

怒りという感情の昇華

僕は基本的に温厚な人間であると言われることが多い、

僕も自分のことは温厚な方であると思う。

 

実際に殴り合いの喧嘩などもしたことないし、人も殺したことはない、

数少ない友人や家族などにもあなたは温厚な人間ねと言われる。

 

口論になりそうになっても、ごめんなさいで済むならすぐにごめんなさいを解き放つし、その際に自分が信じる正しいと思うことを相手に強要してやろうとは一切思わない。

 

陰口、風評なども受け入れることも容易にできる。

言い争いや喧嘩という稚拙で野蛮なものは嫌いである。

人との摩擦、険悪な空気というのが死ぬほど嫌いである。

 

だから、基本的に険悪な空気を出す人が苦手で、できることなら爆発四散してくれとも思うし、その空気を読んでおどけているこちらの労力を知っていただきたい。

 

 

さて自分の事を平和の象徴、非暴力の化身かのように振る舞って一人粘っこい笑顔を浮かべている自称温厚な僕であるが、もちろん怒り散らかすこともある人間だもの、

 

 

基本的に僕が怒る時は、自分の不甲斐なさを感じた時、理不尽な要求を受けていると感じる時などがありますが、これは噛み砕くことができるので、さほど困ることはありません、

 

ではなにが許せないか、それは他人の「怒る」という行為に対してである。

大体これで僕はイライラするし、なんならブチギレる。

 

怒るやイライラしているときに醸し出される空気が嫌いすぎて、「怒る人=悪」という図式が僕の中ではできている。

 

 

それが仲の良い友人だろうがバンドメンバーだろうが家族だろうがなんだろうが、

常にイライラしている、短気なやつは総じて嫌悪感がでる。

 

 

怒らずに伝えること、人を動かすことができないから、人というのは怒りに任せる時がある。

しかしそれは、自分の無能を露呈しているにすぎないと僕は思う。

 

 

 

怒っているやつがいるだけで空気が悪くなる。

常に怒って空気を悪くしているやつはゴミとみなしていい、すぐさま粛清したほうが良いのだ。

 

こういったマインドが培われたため、怒っている人に対し、反射的に怒るというスキルが身についてしまったのだ。

 

相手はこちらの事情もおかまいなく怒る。

常に怒っている、空気を悪いものにしている。しかも自覚がない、

だから僕もブチギレるという手段を取らざる得ないのだ。

 

 

いつまで怒ってるんですかぁぁぁぁぁ!?!?!?怒りが相変わらずしつこいですねぇぇ!?!?義務教育ほんとに受けてきたんですかぁぁ????

怒るという手段しか持ち合わせていないんですかぁあぁぁ!?!?だから嫌われて煙たがられてるんじゃないんですかぁあぁあぁ!!?!?!?チームプレイって知ってんのかてめぇ!!!!!!

怒らずに言ってみろよ!!!ほらほらぁぁぁぁぁ!!!!!!!

俺は怒る奴がでぇっきらいなんだよぉぉぉぉ!!!!

もう一回輪廻転生させてやろうかゴラァァ!!!!

 

 

 

 

こういう事象をなんというか、みなさんご存知であろうか?

「逆ギレ」といいます。

どうもみなさんご機嫌麗しゅうございます。逆ギレ大明神でございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

逆ギレをする以前に、

 

 

 


「“怒る” というのは理由の如何に関わらず人間として間違っている、いけないことをしている。だから今、俺はその怒りに対してブチ切れる。」

 

 

 

というこの自分の主張、マインドは、どうやら様子がおかしいのだ。

大きな矛盾を孕んでいるのだコイツには、「怒ることは悪いことだから怒る」

 

 

 

これはもはや、女性用下着を頭に被り、ありとあらゆるポケットから下着類がはみ出ている警察官が、下着泥棒を取り締まっているようなものである。

 

 

てめぇは誰に断って下着泥棒してんだゴラァ!

と言いながらブラジャーで相手を捕縛し、口に下着を詰め尋問しているのだ。

この光景が一番近い

 

 

 

 

過去を振り返り、様々な怒りを抱えては放出していたが、大体がこの下着大好き警官と同じキレ方をしていた。これは僕が温厚すぎるが故、摩擦のない平和な世界を実現させるための、信念の矛盾なのである。

逆ギレ大明神はここに爆誕した。

 

 

 

 

そしてこの肥大した矛盾を抱えながら、逆ギレの権化となった僕は、年々力を増してきたようにも感じている。

 

 

少し前までは、スルーできていたことに対しても、我慢ができなくなり逆ギレしそうになってしまう。

僕の中の下着警察官が成長して、僕という自我を飲み込もうとしている。

 

 

 

少しでも怒っている人をみようものなら、「てめぇ!なに怒ってんだボケカスコラ!こちとらてめぇのことは温厚に見てやってんだ!!なのにてめぇ様は怒るんですかい!?!?!かぁーーー、てめぇも温厚身につけろやゴミクズやろう!!!!!」

 

 

温厚すぎるが故に、相手にブチ切れてしまう。

もはや悟空のような口調になってる。オッスオラ逆ギレ大明神!温厚なサイヤ人だ!

 

 

 

 

 

 

 

……温厚とはなんなのか、

 

 

 

 

 

 

 

自分の過去の所業、この文章を振り返ってみてぶち当たる。

シンプルな疑問である。

 

 

 

コイツはそもそもなぜ温厚であると言い切れているのか、

摩擦のない平和な世界という主張はなにを目指しているものなのか、

 

 

 

一度しっかりと自分と向き合い、温厚、平和という言葉の意味をしっかりと理解しなければならないであろう。辞書を使うところからオススメする。

 

 

 

 

 

温厚という主張を振りかざし、堂々と正義の逆ギレをしている奴が一番やばい、

こんな危険人物が社会で野放しになっていると思うとゾッとする。

 

 

自分という愚かな人間に怒りが湧いてきておるますので、これから自分の中にでてきた自分への怒りに対して、長年成長させてきた「逆ギレ」をぶちかましていきたいと思います。みなさまにストレスのない日々が続くことを祈っております。

 

 

 

 

オイ!自分ゴラァ!!!なに怒ってんだゴラァ!!!

イライラしてんじゃねぇぞゴラァ!!!まだ怒るならぶっ殺すぞ自分ゴラァ!!!!!

 

 

 

 

 

 

まぁ今日はこんな感じです。