それ的なアレ

沖縄でドラムを叩く人、友人やバンドメンバーからはサイコパスと言われている心優しいゴミが描く壮大なゴミブログ

オシャレな言い回しを探して

最近ふと周りを見渡してみると、オシャレなものが増えてきたように思える。

 

携帯電話もスマホになり、iPhoneなんかオシャレすぎるフォルム、

みんなの服装なんかもみんなオシャレな格好してるし、メガネなんかもオシャレ

インスタ映えという言葉もでてきており、みなこぞってオシャレで綺麗なものを探し出しては写真を撮る。

 

オシャレ大戦争な世の中になったもんだと、日々考えております。

 

しかし、見てくれはオシャレになっているものの、中身までもがオシャレになっているわけではないような気もして仕方がない、

それの最たるものはやはり言動、つまり言葉などはオシャレではないような気もしている。

日本語というものは美しいもので、接続詞ひとつ違うだけで言葉の意味やニュアンスをも変えることができる。

 

僕が好きな日本語で「さようなら」という言葉がある。

誰からと別れるときに使う言葉だが、

 

「さようなら」は「さようであるならば」が変化した言葉であり、接続語なのである。
別れの場面で接続語を使う言語は世界でも類を見ない。
別れなければいけないのならば仕方がない、お別れだ、という潔い意味を含んでいるのである。
また会おうでも、お幸せにでもない、仕方がない、なのである。

これは実に美しいなと僕は感じる。

 

このように日本語というものは美しいなと思うのだが、いかんせん美しいだけではオシャレではないのだ。

プラスαがあればオシャレに昇華するはずなのだ…そう考え、仕事を一時放棄することにした。

 

 

ちなみに余談だが、僕は「さようなら」ではなくオッツーーーとかウェ~イとか使っている。美しさの欠片もない。

 

 

そんな僕がオシャレな言葉を、言い回しを考えようというのだ。

もはやおふざけが過ぎているようにも感じるだろう。

だが至って真面目に考えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話を戻すとしよう。

オシャレな言い回し、言葉についてだ。

オシャレと考え連想するものはなんだろう、やはり外国の言葉や文化であろう。

洋服というものも、文字からつかめるように、洋物の服、つまり外国の文化なのである。

そう考えれば、オシャレ=外国というシンプルな図式が浮かび上がる。

ここから導き出される仮説は、日本語に外国のニュアンスを加えればオシャレになるのではないか?という仮説である。

 

そこでオシャレな外国というものを連想すれば、西洋、つまりヨーロッパの方向にまで絞り込むこともできる。

 

 

間違ってもニジェール共和国などの方向に進んではいけない。

 

 

 

ちなみに余談だが、

ニジェール共和国とは、西アフリカのサハラ砂漠南縁のサヘル地帯に位置する共和制国家であり、首都はニアメ。

内陸国であり、アルジェリア、マリ、ブルキナファソベナン、ナイジェリア、チャド、リビアと隣接する。

公用語は主にフランス語、名産品は、「イロリド」と呼ばれる藁で作られた人形。
ウェムカッチャ地方に行けば、職人達がこの「イロリド」を作っている姿を直接見ることが出来るので、ふらりと長期休暇を利用して見に行くのもある種のオシャレだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話を戻そう、西洋、ヨーロッパの言葉を、という話だった。

 

 

イギリスやオーストリア、イタリアなどオシャレそうな国のラインナップである。

これは期待ができる。

 

 

そこで僕が着目したのは、フランスだ。

先程ニジェール共和国について論じたときに、公用語はフランスというものを見つけたからだ。

これはなにかの因果、運命とも呼べる出会いだろう。

 

 

フランスで連想するものといえば、エッフェル塔、サッカーなど様々なものがあるが、

「パリジェンヌ」という言葉があるではないか、

パリジェンヌという言葉を見た時、人々はどう感じるだろうか、

なんかよくわかんないけどパリの街をオシャレにウェイしているもの。

そのような想像ができるだろう。

言葉の本質、実態というものをしっかりと掴むことはできないが、なんかオシャレ

そう、オシャレとはそういうものなのではないだろうか、

 

 

そこで僕はこの「パリジェンヌ」という言葉に飛びついた。

ジェンヌという言葉からオシャレさを感じるのであろうか?

いや、違う、これは接続している言葉があるからオシャレなのだ。

言葉尻に「ヌ」という言葉が重要なのだと僕は気がついた。

 

パリジェン

 

なんとも寂しいものになってしまう。

「ヌ」がないだけでこんなにも薄っぺらい言葉に変貌してしまうのだ。

「ヌ」という言葉はすごい、そして同時に恐ろしいものだ。

 

 

この「ヌ」をつけるだけでオシャレになる。

勝った、僕は打ち勝ったぞ、これで僕もオシャレ街道まっしぐらに違いない。

しかし実験してみないことにはまだ実感がわかない。

 

幾つか例題を書き残すことにしよう。

 

 

ガチャピン

 

言わずと知れた緑色の恐竜だ。

サーフィンをしたり、登山をしたり、はたまた宇宙にいったりなど活動は多岐渡る。

そんなガチャピンに「ヌ」を付け加えるとどうだろう…

 

 

 

 

 

 

ガチャピン

 

 

 

 

 

オシャレ恐竜の爆誕である。

完全無欠の緑色の恐竜が、オシャレまで手に入れやがった。

強い、強すぎる。

この名前の前にはガチャピンヌの隣にいる赤いモップ、通称ムックも

「お、オシャレの化身ですぞーーー!!」と言って卒倒、そのまま北極近くの島へと帰省することだろう。

ガチャピンヌ恐るべし、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チンポヌ

 

 

 

唐突の下ネタ、しかしオシャレだからセーフ、

なぜだろう、オシャレでもあるが、急に愛くるしさが出たではないか、

恐ろしい、オシャレだけではなく、キュートさも演出してしまうのかこの「ヌ」という言葉には……

「ミラノ風チンポヌ、ジェノベーゼソースと共に」

こんな料理がありそう、もはやオシャレすぎて非の打ち所がない。

 

 

 

 

 

 

そしてコレを書きながら思い出したことがある。

ニジェール共和国公用語はフランス語、

つまりニジェール共和国はオシャレ、まさかの盲点、

こいつは一本取られた。

ちなみにニジェール共和国にはTAL NATIONA(タル ナショナル)という最高にいかしたバンドがいる。

アフロ・ビートはもちろんだが、アフリカン特有のグルーヴ感が癖になる。

 

オシャレなニジェール共和国の音楽を聞くことはもはやオシャレすぎる。

スタバでしたり顔している人たちは瞬殺だろう。

アフリカンビートで瞬殺した後に、「ガチャピンヌ」と残して次のスタバへ向かおう。

オシャレの化身として、後世に語り継がれることになるであろう。

 

 

 

もはやなにを言っているのだ僕は、オシャレの欠片もない文章だ。

ガチャピンヌとはなんだ。コレについて残りの業務時間中に向き合いたいと思う。

 

 

 

 

 

オシャレの道は険しく遠い

 

 

 

 

 

 

まぁ今日はこんな感じです。