それ的なアレ

沖縄でドラムを叩く人、友人やバンドメンバーからはサイコパスと言われている心優しいゴミが描く壮大なゴミブログ

ビジネスシーンで活躍する、筋肉というソリューション

 

昨今なにかにつけて筋肉というワードを見かける。

 

デキるビジネスマンが筋トレをしているというのはかねてより耳にしていたが、

たしかにそういったものが主流になりつつあるような気がしている。

 

 

優秀な経営者が仕事の合間を縫ってジムに通い、フンフン言いながらせっせとベンプレをあげている。余りにもその傾向がある。控えめに言っても、ある。



いや、筋トレと仕事に何の関係があるんだよ、と私も思っていたが、社会人をやってみてこれらが明確に関係することを確信した。筋肉によって何が得られるのか。まずは「交渉力」だ。

 

 

例えば取引先との交渉の時、こちらの要求している金額よりもだいぶ安くで取引先が提示してくる。

取引先は頑なにこの値段から動かさない方針、なんならもう少し下げてやろうとも目論んでいる。

そこでムキムキなあなたが登場!

 

 

ムキムキのレベルがどれほどかと言うと、余りに発達した三角筋により、ドアに両肩がつかえてしまいスムーズに部屋に入れない程だ。

「失礼」。あなたは、そう言って身を屈めて部屋に入って来る。

そう戸愚呂弟なのだ完全に、

 

 

怪物を前に目が点になっている取引先。あなたは信じられない程に発達した筋肉を見せびらかしながら悠然とストレッチをし、事務の女の子が持って来たお茶のグラスを秒で木っ端微塵に握り潰してから言う。

 

「先程のこちらの提示額…あれは挨拶みたいなものだ。」そう言い放ち、提示額の倍額を再提示、その時にシャツを着ていたら筋肉で引き裂こう、もし全裸であるならば胸筋を凄まじい勢いで動かそう。

取引先は「アアアアアアアありがとうございまひゅーーーーーーーーーーーー!!!!そそそそそそその金額でぇえええええやりまひゅーーーーーー」と失禁しながら快く取引することだろう。

 

 

常軌を逸したムキムキを前にして、取引先の「決意」や強い「意志」などは、何の意味も為さない。筋肉はその存在だけでオスとしての優位を示し、相手を圧倒し、交渉を優位に持っていく力がある。筋肉を用いたハッタリの交渉、筋肉交渉。これは確実に成り立つ。

 

 

そして、筋肉の利点はこの「見せかけ」だけに留まらない。

筋肉は見せ物としての効果以外にも、ビジネスシーンにおいての実用的な側面も兼ね備えている。恐ろしい程の筋肉。そこから生み出される無限のパワー。



その筋肉をビジネスシーンで躊躇無く解き放ち、その筋肉で相手を全力でブン殴ると一体何がどうなるか、皆さんはご存知だろうか? 

 

 

 

 

 

 

ブン殴られた方は、「死ぬほど痛い」のだ。

 

 

 

 

例えば、あなたが、ある企業に勤めるムキムキだとしよう。

あなたのムキムキがどのくらいのムキムキかと言うと、恐ろしいほどのムキムキだ。

あなたの会社が何かしらミスをしたとしよう、取引先の会社からクレームが入っている。

そこであなたという筋肉の化身は、先方に呼び出された。



会議室に入って来たのは、取引先のひょろ長いモヤシ系担当者。

モヤシは、ここぞとばかりに弊社のミスに対してクレームを並べてくる。「御社のミスでですね、弊社の…ごにょごにょ」

 

 

 

そんなごにょごにょと文句を並べてくるモヤシを前にしてあなたという筋肉だるまは何も言わずにゆっくりと立ち上がって悠然と接近し、

「フン」と言って力任せに相手をブン殴る。モヤシが2mほど吹っ飛ぶ。



モヤシは、顔面を殴られた痛みに恐れ戦いて震え上がり、のたうち回って言うだろう。「お、っおおおおお、お御社商品のみみみみ、ミスの件ですが、ああああ、ああ、あ、あれは、こ、こここここ、こちらのフォォォルトでええええすっすすすすすす!!!!」

 

 

もしあなたが転職を考え、面接などをしているムキムキだとしよう。

ここまで読んだムキムキだ、もう僕が何を言おうとしているか筋肉で伝わっているはず、

そう、面接官に「長所は?」などと聞かれた際には、「フン」と言ってワンパンをキメてやろう。

 

面接官はこれまでの人生で受けたことのない衝撃を前に軽く4mは吹っ飛び、血を流して倒れ込み、頬を抑えながらこちらを見るが、顎の骨が折れてしまっているために上手く話せない。

そこですかさず筋肉スマイルをし、「どうですかな?僕の長所は」確実に内定

 

 

 

あらゆるシーンにおいて、筋肉から放たれる暴力が火を噴くことは間違いない。

そこは課題解決型のグループディスカッション。お題は、「若者の投票率をあげる方法を考えよ」。

 

 

メンバーの内、あなた以外の5人は全員、「若者を政治に興味を持たせるべき」ということで一致しているが、ムキムキのあなただけは「シンプルに強制するのみ」と言う。意見が別れてしまった。

 

 

5人のうち最も頭のキレる人間が、とうとうとロジックを詰めてくる。

ロジックに次ぐロジック。次々と論拠を示し、ムキムキのあなたを追い詰めてくる。

 

自分でも話していて何を言っているのか分からなくなってきている。そして自分の意見に矛盾が生じている事に気がつく、そこで目を閉じ、ゆっくりと無言で立ち上がって服を脱ぎ、悠然と接近して「フン」と言いながらマルタのように太い腕を振り回してロジック人間をシンプルにブン殴る。

 

 

 

その拳の威力はと言うと4トントラックが時速140kmで突っ込んで来た際のパワーに等しい。ロジック人間はその恐るべし力学的エネルギーを前になす術なく、律儀なまでに力学的法則に従って緩い放物線を描きながら8m近く吹っ飛んだ挙げ句、血を流しながら壁にメリこんで意識を失う。

 

残りの4人は絶句し、恐怖に怯えながら言うだろう。「セ、選挙率あげるには、きょ、きょ、強制するしかないですよね」「あ、あ、ああ、ぼぼぼ、ぼくもそそそう思ってました」「わわ、わわわたしもははは始めからそそそう思ってました」

あなたは筋肉議論において筋肉勝利を納め、筋肉ガッツポーズをし、グループ筋肉ディスカッションを筋肉リードした筋肉過程が認められて筋肉内定を勝ち取り、筋肉家路を急ぎながら筋肉スマイルを浮かべる。

 

ビジネスだ、社会だ、未来だ、何だと語ってる奴ら。ぬうぬうと訓示を垂れてる奴ら。ごちゃごちゃウルせぇ。表に出ろ。全員右ストレートでぶっ飛ばす。ワンパン。

 

 

そう、筋肉とは最強のビジネス力なのだ。

そのビジネス力を以てすれば、経団連会長の演説の最中に突然壇上に上がり一瞬でワンパン。世界の未来を語り始めたイーロンマスクの胸ぐらを掴みワンパン。慈善事業に巨額の資金を寄付するザッカーバーグの有難い説法を大人しく聞いていると思いきや突然接近してワンパン。

 

 

 

あらゆる、全ての名だたるビジネスマン達を前にして、臆することなく、無慈悲のワンパン祭り。誰も太刀打ち出来ない、最強のビジネスマン。

 

 

なにを師走に書いてるんだろう、筋トレしよう。

 

 

 

まぁ今日はこんな感じです。

「来年は飛躍の年にします。」と僕は忘年会で言うのであろう。

 

多分言う、どこかしらで言う、忘年会か、もしくは新年会とかで言う、間違いない。

 

 

来年はどういった一年にしていきますか?

みたいなことをこの12月あたりから聞かれ始める。

 

そこでよく耳にするのは「飛躍の年にします。」という言葉だ。

 

 

ふと思い出してみれば、去年や一昨年もこの飛躍の年という言葉を聞いた気がする。

僕もどこかで無意識のうちに使っていたかもしれない、

友人に至っては、5年ほど飛躍の年を迎えている。いや知らないだけで10年ぐらい使ってるかも知れない、

 

 

毎年のように、なにも考えず「飛躍の年」を使うのは、「飛躍しかしない生き物」にカテゴライズしてもいいのではないだろうか?

もはやホモ・サピエンスというものよりも、鳥類、カラスや鳩、文鳥などと同じなのではないかと思えてしょうがない今日このごろでございます。

 

 

「飛躍」という言葉は大きく飛び上がる、すなわち「急成長する」ということのたとえで使用していると思うが、一年間で1.2倍ほど成長、良くて1.5倍ほど成長するぐらいにとどめておけば良いものの、「飛躍」を使用することで5倍ほどの成長を見込んでいるように感じる。

急成長するベンチャー企業のような上り調子、ドカンと成長し飛躍しているイメージ

これを10年飛躍しようとしている友人に当てはめると、単純に計算しても5の10乗、

9,765,625倍になります。

恐ろしい伸び代です。976万倍、恐ろしい飛躍、フリーザ様の53万という数字が可愛く感じます。

 

 

976万倍というワードの恐ろしさもさることながら、

なにが976万倍なのかがわかっていないというところがより恐ろしさを加速させています。

得体のしれない物が976万倍し、飛躍している。

もはや恐怖のなにもでも無いのです。

「なにかわからないものが常人よりも976万倍された男」という飛躍の化物に友人はなっています。

なにが強化されているのかわからないのであれば、対策が取れない、

しかも976万倍強化されているので、生半可な対策では対抗できないであろう。

 

そして今年もこの時期がやってきた。

 

来年もまた飛躍しようとするに違いない、976万倍をまた5倍しようとするのだ。

その数値は4880万倍、およそ5千万倍の飛躍をしようとするだろう。

かくいう僕も今年の忘年会、来年の新年会では飛躍しようとするだろう。

しかしたかがしれている。3年ぐらいの飛躍、125倍ぐらいが関の山だ。

 

 

だがこの友人は5千万倍の飛躍、人知を超えた飛躍の年だ。

もはや数字がインフレを起こしすぎていてよくわからない、というか最初からなにが5千万倍になろうとしているのかもよくわかっていないのだ。

 

そして気がついた。ある時までは手段であったはずの「飛躍」はいつしか目的にすり替わっているのだ。

友人は気がついているのだろうか…このまま飛躍を続ければどんどんと恐ろしい数字を叩き出すということに……

なにかを成すための飛躍ではなく、もはや「飛躍するための飛躍」に変貌し、

その飛躍はコントロールを失い、自我をもち、永久に飛躍し続ける化物に変わっているということを…

このまま飛躍し続ければ、10年後には95,367,431,640,625倍になり、20年後には

931,322,574,615,478,515,625倍になる。

平成が終わり新しい年号に変わり、そこで産まれた赤ちゃんが成人になった頃、

 

僕の友人は、9垓3132京2574兆6154億7851万5625倍の飛躍をするものになっているのだ。

「9垓(がい)」という数字を人は体験し、体現したことがあるのだろうか?

もはやそれは人類とは呼べない代物なのではないだろうか?

 

恐ろしい、恐ろしすぎる。

 

 

平成が終わるというのに、こんなしょうもないことを書いている自分が一番恐ろしい

 

 

 

 

まぁ今日はこんな感じです。

 

腹が立つという感情はなぜ起こるのか、

 

人間誰しも生きていたら腹が立つことがある。

イライラしたり怒ったり、ストレスが溜まってトゲトゲしくなったり、

 

生きていて腹がたったこともない、怒ったことも、ストレスも感じたことはない、

そんな人はいないだろう、いるのであれば聖母、もしくは菩薩だそれは、

 

大体腹が立つなどは対人関係などで起こりやすい、

 

かくいう僕も、腹が立つ事はたくさんある。

イライラもするし、ぶち殺したくなる感情が湧き上がる事もある。

 

 

しかしふと思うのだ。

なぜ、腹が立つのか、なぜ怒りたくなるのか、

一体僕はなにに腹を立てているのか?

そう、ふと思ったのだ。

 

 

腹が立つ、怒りが湧く、この感情はどういうときに起こりうるのだろうか、

自分が嫌なことをされたとき、自分の提案や考えを頭ごなしで却下されたとき、そういった事が続いた時、

大体こんな感じだろう。

 

一回目は許せても、何回もされるとそれは途方もない怒りに変わる。

仏の顔も三度までという言葉があるぐらいだ。

たしかに何回も嫌なことをされたり、否定されたら怒る。

菩薩や聖母も助走をつけて殴りかかってくるだろう。

 

 

しかしだ、僕は一つ気がついた事がある。

腹を立てたり、怒るという感情は、自分を上の位置に置いているから起きうることなのではないだろうか?と、

 

 

この素晴らしい自分がなぜこんな事をされるんだろうか、この高尚な素晴らしい全知全能である僕の考えを否定しやがって!みたいに、

いつの間にか他人を下に見て、自分は偉い人間だと勘違いをしているのではないだろうか?ということである。

 

人間、自分より下のもの、弱い者などになにかされると嫌悪感というものが出るものである。

漫画やドラマなどで見られる、エリートが不良を許せない、社会のゴミだ!!と言い放つのが良い例かもしれない、あれはエリートが自分を偉いと思っており、不良などは社会の弱者だと思っているからでるのだろうと思う。

 

 

そう考えると、思い当たる節がある。

他人に過度に期待をしていたり、僕はこんなに色々頑張っているのに、などという様々なファクターが見つかってくる。

 

 

他人を理解しているという思い上がり、期待しているという勝手な押しつけ、まったくもってありがた迷惑な話である。

僕ごときの人間が何をやってるんだと、そんな大した人間でもない僕がなにを思い上がっているんだと、

 

自分はこんなに頑張っている。

こんなもの当たり前であるし、世の中にはもっと頑張っている人もいるし結果もしっかり残している人がいるものだ。

 

 

そう僕はどこかで思い上がっていたのだ。

気づかないうちに自分は偉いと勘違いしていたのだ。

 

気がつくとあっさりと解決するものだ。

自分はたいした人間でもなく、偉くもないから腹が立つ道理はおかしいのだ。

 

これに気がつくと、対人関係で腹が立っていたことがある程度消化出来てきた。

この文章を打ちながら気がついてきたことである。

 

 

もちろんすべてを消化しきれていない、この感覚に気がついたばかりで、まだこの身体に染み付いていないからだ。

 

 

対人関係で腹が立つ、ストレスを感じるというものは、他人を見下しているという良くない状況を見直しできることだと、平成最後の12月に気がついた。

 

シンプルだけど、個人的にはアハ体験である。

また一つ成長できたのかなと思うのである。

 

 

そしてもう一つ気がついたこと、

怒りん坊をいう言い方は可愛いなというものである。

 

 

激怒している人、イライラして当たり散らしている人、と聞くと嫌な感情が湧いてくるが、怒りん坊なんだよねあの人と聞くと、なんだかマイルドな雰囲気に感じる。

 

 

怒リンボウと記載しても良いだろう。

なんだかポムポムプリンのような可愛さが出てきたではないであろうか、

 

 

怒リンボウだぞ!プンプン!!とやって見せることで、場が和む、

ギスギスした雰囲気の場にはならないのだ。

 

 

なんて素敵な言葉なんだ怒りん坊、

これはドンドン使っていこう。

 

自己紹介でも使っていこう、「僕は怒リンボウだから気をつけてね☆プンプン!!」

 

 

 

自分がやっているところ想像して言葉にできない怒りや殺意が湧いてきた。

 

 

成長なんぞしていなかった。むしろ偏差値下がったんじゃないか平成最後、

 

 

 

 

まぁ今日はこんな感じです。

ピザという暴力に溺れてみたくなる

 

はてなブログには「お題」という機能が存在する。

これは、はてなブログが用意してくれたお題に対して、自分の感じていること、体験したエピソードなどを書き、マンネリ化を防止するための機能だと僕は思っている。

 

 

ブログでも書くかと思いたち、はてなブログを立ち上げ、今日も非生産的なことを稚拙な文章で書き殴ろうと思った定時前、

 

 

おちんちんという言葉は、下ネタというカテゴライズに属するには、あまりにも高尚すぎる。

 

 

 

という文章を書こうと意気揚々とPCに向かったが、ふと「お題」というものを見つけてしまった。

 

そのお題は、「ピザ、食べたくない?」というものだ。

 

 

 

ピザ、食べたくない?

という時間帯を間違えればテロ行為につながる文面だ。

 

 

ピザ、そうそうれは一つの暴力だと僕は思っている。

 

 

 

ピザ生地という小麦粉の化身の上に、大量のチーズ、肉、野菜などを盛り込み、

焼き上げた暴力、そうカロリーの暴力なのだ。

 

 

 

しかしカロリーが高ければ高いほど、食べ物は美味しくなる。

1カロリーは1美味しい、これは世の中の道理なのだ。

 

 

ピザのカロリーは大体1枚あたり約1300kcal

すなわち1300美味しいということになる。

といことはめっちゃ幸せなのだ。

 

 

カロリーの暴力と言ったが、美味しさの塊、

幸せを運ぶコムギの化身ともよべるだろう。

 

 

そう、ピザは美味い、ピザって最高なんだ。

 

 

 

時折、ピザが食べたいという欲望があふれかえるときがある。

そうなると、思考は停止し、ピザを食べることしか考えられなくなるのだ。

 

 

 

最近は居酒屋でもピザは食べられるし、窯で焼いた本格ピザを出すお店も増えてきた。

失礼、本格ピッツァと言わないといけないらしい、

昔、このピザ美味しいですね!と言ったら、うちのはピッツアです。

という事を真顔で言われ、それまで笑顔で接してくれた店員さんがピッツアの化身に見えたことがあった。

 

 

そこで本格的なピッツアを出すお店ではピッツアと言うようにしている。

二回目はない、間違ってピザと言ってしまったら石窯に放り込まれてピッツアの一部になる可能性もあるのだ。

 

 

 

しかし、僕がピザ食いたい!!となる時は、そういったピッツアではなく、

もっとジャンキーでパーリィーなピザが食いたいのだ。

そう、言わば宅配ピザだ。

 

 

 

宅配ピザは気取っていなくて好きだ。

あのジャンキーな感じ、大味なピザが良いのだ。

 

しかも種類もたくさんある。

ハーフアンドハーフという、別の種類のピザをドッキングできるというのも魅力的

ピザ生地も、クリスピーやらなんやら選べるし、家から出ることなくピザが食える。

また大人数でパーリィーするときも金さえ払えば、美味しいピザを届けてくれるのだ。

 

 

宅配ピザすごい、雨の日でも風が強い日でも美味しいピザを届けてくれるのだ。

 

 

宅配の人には頭があがらない、バイクで届けてきてくれる宅配員、本当にありがとう。

 

 

 

ピザという暴力を、お手軽に溺れられるこのご時世が素晴らしい。

 

ピザって最高だよね。

もちろんピッツアも大好き、

 

 

みんなでピザという暴力に溺れて、ウェイしよう

 

 

 

まぁ今日はこんな感じです。

HUNTERXHUNTERの新刊に、手を出せてはいない

ハンターハンターという書物が日本の数ある書物の中で、一際輝きを放ち、崇高な作品であり、それが他に類を見ない程に恐ろしく含蓄の詰まった奇跡の書物であるということは、もはや議論の余地がない。

 

 

人間の生き方、物事の捉え方、こんなにも多くのことを伝えてくれる書物はあったであろうか、他に見当たらない。

中学、高校、大学という時間をかけ、何度も読み返し、一時はセリフなどを丸暗記していたこともあっただろう。完全にメモリの無駄遣いである。

 

 

 

最初読んだのが中学校一年生のころ、悪役好き、厨二病まっしぐらな精神状態の僕は、ヒソカがぶっ刺さった。一人でトランプ投げを行ったり、トランプタワーをおもむろに積み上げて、崩し、ゾクゾクしてみたり、水見式をやって、水が甘い!?とかいう茶番もしたものである。

 

 

 

もちろん今でもマイ・フェイバリットキャラクターはヒソカであるが、読み返すうちに、レオリオやノブナガなどのヒゲキャラクターが好きになってくる。そこからゲンスルー、バショウ、ゴレイヌなどの時代が来る。

キメラアント編では多くのキャラが好きだが、一時期取り憑かれたようにウェルフィンが好きだった時代があり、顔をくしゃくしゃにしながら「コ、コムギ……」とつぶやく病気にかかったこともある。

 

 

 

 

しかし近年、謎の博愛精神がついたのか、大人として熟成されてきたのか、みんな好き!に変わってきたのである。

 

 

 

これはPerfumeを語るときを同じで、のっちが好き、かしゆかが好き、ゴレイヌが好きと話すのはまだまだであり、本当にPerfumeが好きな人は、Perfumeが好き!と言い切るものである。

 

 

 

 

感謝の一万回読み返しではないが、読み返すことで、誰が好きとかではなく、HUNTERXHUNTERが好きという答えに行き着き、音を置き去りにしたのである。

好きなキャラなんですか?という質問に、したり顔をしながら「スクワラ」と答えるやつは、まだまだなんだと痛感した。

 

 

ジャンプでの連載ではなく、単行本で読んでいる僕にとって、自らの人生に潜むリスクというものは、職や金、信頼を失うということではなく、連載勢との何気ない会話からのネタバレである。

 

 

会話中に、暗黒大陸というものが聞こえようものなら、すぐさま四次元マンションに逃げ込み、水を呑み、一呼吸置いて精神を整え、家に帰るであろう。

 

 

仕事というものは、言わばHUNTERXHUNTERの新刊が出るまでの暇つぶしというものでしかない、

 

 

HUNTERXHUNTERといえば、回収しきれないであろう伏線や、

雑に死んだゴトー、そしてなにより「連載が不定期」などが魅力であろう、いつ始まって、いつ終わるのか、もはや人生の縮図のようなものである。

 

 

 

27巻あたりから、もしかしたらこの一冊がHUNTERXHUNTERのラストかもしれない、そう思うようになった僕は、最新刊を骨の髄まで味わうよう心がけてきている。

そして味わい尽くすために、発売をしてもすぐ最新刊を読まない事にしている。

 

 

 

 

直前のストーリー、興奮などを最大限に保った状態で最新刊へ赴く、

そう、助走をつけてHUNTERXHUNTERの最新刊へ飛び込むのだ。

 

 

 

連載が不定期ということは、単行本の発売が遅れる。

それまでのストーリーはもちろん、モチベーションを保つことが難しくなってくる、だからこその「助走」なのだ。

 

この助走期間を設けることにより、一層HUNTERXHUNTERをベストなコンディションで挑めるようになった。

そしてこの助走は年々距離が必要になってきたのである。

 

 

最初は最新刊から2~3巻前に戻る程度だったものが、5巻、10巻と伸びてきており、終いにはハンター試験のあたりから助走し始めた。

そうどう考えても戻り過ぎなのである。

 

 

 

 

いくら暗黒大陸をベストなコンディションで挑みたいからと言っても、ステーキ定食を弱火でじっくりとオーダーする場面や、サトツさんが階段をすごい勢いで登る描写などは不必要ではなかろうか、

そのままヌメーレ湿原に突入し、ヒソカが大暴れする話などは、

ビヨンド=ネテロなどとは何一つ関係のない話である。

助走とかこつけて、長距離走の始まりである。

 

 

しかし、もはや僕の助走を止められない、助走の化身となった僕は、最新刊を最高に楽しむために、あの伝説の書物を手に取った。

お気づきの方もいるかも知れない、そう「幽遊白書」だ。

 

 

 

HUNTERXHUNTERという聖書の全身である伝説の書物、幽遊白書を読むことにより、ベストコンデションで受け入れる内面的な素地を醸成され、圧倒的に優れたメンタリティを以てHUNTERXHUNTERの1巻に突入、史上最高の快楽に包まれながら最新刊へと足を踏み入れる事ができる。

 

 

脳内からは、ありとあらゆる快楽物質、脳内麻薬が放出され、白目をむきながら、口からはヨダレが垂れ流され、耳から謎の液体が垂れていることであろう。もはや漫画を読む人間の姿からはかけ離れいるであろう。

 

 

最新刊よもうしばし待っていてほしい、今僕は戸愚呂というムッキムキの男が、フルパワー、100%中の100%ぉぉおおお!と言いながら指弾をぶっ放し、斜めに傾いているところだ。

安心しろ幽助が勝つから、

 

 

 

その後、仙水とかいうハイパーイケメンが二次元論に疑問を投げかけ、圧倒的な存在感を残した後、雷禅、黄泉といったハイパー強キャラが出てきたかと思えば、

魔界整体師時雨という、オペ代に人生の一部を要求するというハチャメチャなビジネスモデルを引っさげた医者が登場し、飛影と相打ちに終わる。

ここで、「相打ちか、悪くない」という飛影の名言が飛び出るので注目だ。

 

 

その後浦飯幽助はゴンという少年に転生するが、やがて彼はゴンさんという化物になり、凄まじいほど髪が伸びてネフェルピトーの顔を爆発四散させる犯罪者になる。

 

 

他にもそりゃあ悪手だろアリンコぉ!とかいう正拳突きの化け物が出てきたり、顔にトゲを刺して整形してる重度のブラコン野郎が出てきたり、ものすごい速度の手刀を見逃さない人が出てきたりと楽しみが尽きない、

 

 

だから待っていてくれ最新刊、もうすぐ、もうすぐ君に会えるよ。

だから、僕の前でしれっとネタバレしないでくれ、俳句書いて燃やすことになってしまう、

 

 

 

 

 

 

そしてこの助走で気がついた。

僕はもう一つの神聖なる書物を、

 

 

 

 

 

 

戸愚呂とか言ってる場合ではない、今すぐに読まなければならない、

 

 

 

 

 

 

そう、レベルEを!!

 

 

 

 

すまない、君と会えるのはもう少し掛かりそうだ。

でも絶対迎えに行くからね!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁ今日はこんな感じです。