それ的なアレ

沖縄でドラムを叩く人、友人やバンドメンバーからはサイコパスと言われている心優しいゴミが描く壮大なゴミブログ

サラダは太る

食欲の化身、食欲が洋服を着て二足歩行し、平日は仕事をしている姿を想像していただきたい、それが私だ。

 

ご飯を食べることが好きで、その中でも炭水化物を摂取する時の喜びというのは、

それはなんとも言えない高揚感に包まれ、なんというか、その、下品なんですが、

フフ…勃起してしまうほどで…ございまして……

 

冒頭からなにをこいつは言ってるんだ。というか自分はなにを言っているんだ。

しかし僕ほどの食欲の化身、炭水化物の化物となると、性的興奮にちかいものを食事から感じることがあります。

 

 

その中でも、麺類が好き、そう好きという感情でくくってしまっていいほどなのか、

それほどまでに麺類というものを愛している。

そうこれは愛に近い感情、つまるところ性的興奮なのだ。

 

麺類全般は好きだが、その中でも「ラーメン」

 

これは幼少期から大好きな食べ物、ラーメン最高

 

酒を呑んだあと、次の日とかに食べるラーメンは、それはそれは恐ろしいほどの快楽

私、夜のお店や、風俗と呼ばれるお店には全く興味がなく、人生で行ったこともないのですが、

夜のラーメンにいたっては、もはや人生の大半を使っているといっても過言ではないでしょう。

 

このことからわかるように、夜にラーメンを食べるというのは、性的興奮を発散しに行くもの、という側面が見えてくる。

ラーメンを啜り、スープを飲むことが、夜のフィジカルコンタクトと同等の行為なのだ。

 

もちろん日中もラーメンが食べたい、会社の昼休みにラーメンをしたいという感情で支配されることもしばしばある。

ということは日中にもフィジカルコンタクトをしたい、もうめんどくさい、セッ○スがしたいという感情に近いのだ。

 

突き詰めると僕の性欲がすごいみたいになる、性犯罪者予備軍、もしくは法整備が整っていないだけで、もうなにかしらの犯罪に該当しているかもしれない。

その評価は甘んじて受け止めよう。

 

 

日中もその感情に支配されがちな私だが、その衝動、ラーメン衝動、繰り返される諸行は無常、よみがえる性的衝動、それらは夜に大きな波となって私を包み込むのだ。

時には激しい荒波のように私をもみくちゃにする。

ある時には、小波のように可愛く衝動を刺激する。

またある時は母親のような包容力で、私を包み込んでくるのだ。

 

 

そう、夜になるとラーメンが食いたくなる。

ラーメンが食いたいから夜になったのか、

夜がラーメンを呼んでいるのか、ラーメンが夜を呼んでいるのかは、定かではない。

 

 

しかし気がついてしまったのだ。

ラーメンを食べていると太るのではないかということに、

現に、昔に比べ腹回りが出てきた感じもするし、顔の周りの肉もついてきた。

丸という形にすこし近づいたようにも感じる。

 

 

このままではまずい、しかし、ラーメンの欲を止めることができない、思春期の男子学生が、マスターベーションをやめられないように、このラーメンに対しての欲を止めることは僕にはできないのだ。

しかしこのままラーメンを食べると太る。

そこはまごうことなき事実なのだ。

 

 

いったいどうすればいいんだ……

 

 

しかし私は気がついたのだ。

盲点であった、ラーメンは太る。という固定概念に縛られすぎていたのだ。

途中式の欠損を見抜いたのだ。

 

ラーメンを構成してる物質、それは野菜なのだということに、

小麦も畑から出来るので、野菜、スープも野菜を使う、

なんならカロリーは熱に弱いという興味深い論文も発見されており、

その観点からいくと、ラーメンはカロリーが低い、というかこういった仮説がたてられないだろうか?

 

 

 

 

 

ラーメンはサラダなのではないかという仮説だ。

 

 

 

何ということだ…こんな簡単なことを見落としていたなんて、

サラダはいくら食べても脂肪にはなりにくい、ということは太らない

抜本的なソリューションに出会えたのだ。

夜のラーメンというのは、夜のサラダ活動、すなわちダイエットだったのだ。

 

 

きっと太ってきたという錯覚をおこしたのは、サラダばかり食べすぎて、肉などを取っていなかったから、筋肉が落ちたのだろう。

 

 

そうと判れば話はなにも怖くない、解禁だ。

夜にラーメンを食べるという行為はダイエットなのだ。

サラダと仮定することですべてが解決する。

証明完了だ。

 

 

 

ラーメン=サラダ理論を知った私は幸せだった。

なんの罪悪感もなくラーメンを食べる。

不倫や、秘められざる恋のような後ろめたさを持っていたセッ○スが、

恋人とのラブラブエッチに変わったような幸福感、

夜にラーメンを食べ、昼にもラーメンを食べる。

そして眠りにつく、こんな幸せなことがあるだろうか……?

 

 

 

しかしその幸せは長くは続かない、

明らかに、以前よりも肥大化した身体を見て薄々感じ始めてきたのだ。

ラーメンは、サラダではない……?

 

 

いやいや、そんなことはないはずだ。

どう考えてもラーメンを構成している物体は野菜、

ということは野菜を食べている、だからサラダに近いもの、もはやサラダにきまっている。

 

ただ単純に運動不足だろう、そうに違いない、もしくはサラダを食べすぎているだけだ。人間やりすぎというのは良くないのだ。

 

サラダの摂取量を減らし、適度に運動をすれば大丈夫だ。

なんだ簡単なことじゃないか、

 

 

 

いや……逆か?

サラダの摂取が足りなかったのでないのか?

多い時は一日2食サラダをくう(ここでいうサラダはラーメンの意)

それを2週間に一回辺りぐらいの周期だったが、それでは足りなかったのだ。

野菜不足だったのだ身体が、そうだ、それに違いない、間違いないだろう。

 

週に3回はラーメンを食べ、飲みに行ったときもラーメンを食う、なんなら週5でラーメンを食えばいいのではないか。

そうだそれで大丈夫だ。大丈夫なはずだ。

 

 

いや、冷静に考えてくれ、ラーメンを週5で、サラダを週5で食い続けるやつのどこが大丈夫なのか、ラーメンとかサラダとかそういう話じゃなく、週5でひたすらそれを続けるやつのどこが大丈夫なのか、ラーメンがサラダとかいう問題の話ではない、

 

 

もしこのブログを読んでいる有識者がいるのであれば教えてほしい、

ラーメンを毎日食い続けるこの活動のなにが大丈夫なのか、なんならラーメンをサラダとみたて食い続けるダイエット活動のなにが大丈夫なのか、

 

この「大丈夫」という概念、もしくは生き物はいったいなんなのか、

どこから来て、どこへ向かっているものなのか……

 

 

 

 

こうなると「大丈夫」という概念がわからなくなってくる。

大丈夫の見直しが必要になってくる。

私は1から、大丈夫という存在を見つめ直し、付き合っていかなくてはいけないのだ。

今までどおりの付き合いは難しいだろう、時間が解決してくれるのか、また新たな大丈夫に変わるものがみつかるのか……それはわからない、

 

 

 

しかし一つ言えることは、ラーメンは美味い、ラーメンは最高、

夜に食べるラーメンはめっちゃ最高ということだ。

 

 

夜がラーメンを運ぶのか、ラーメンが夜を運んでくるのか、

 

 

 

今日も今日とて、ラーメンは美味い

 

 

 

 

 

まぁ今日はこんな感じです。