それ的なアレ

沖縄でドラムを叩く人、友人やバンドメンバーからはサイコパスと言われている心優しいゴミが描く壮大なゴミブログ

アンパンマンを考えてみると非常に危険だと感じた。

 


夜分遅くすみません

アンパンマン」と名乗る、アンパンをモチーフにした男性の存在をご存知でしょうか。彼は非常に危険です気をつけて下さい



 




まず彼の性癖の1つである、「自分の脳味噌の一部を切断し他者に受け渡す」というこの行為は、およそ道徳的観点から許される所業ではないでしょう。戦慄のお裾分けです。狂気の沙汰です。
 
 
この、肉体の一部を見知らぬ第三者に擦り付けるというこの行為を、これをよかれと思ってやっている場合は、有難迷惑の権化
 
  


または臓器売買の申し子です
 


 
一方、
 
見知らぬ男性からおもむろに提出された頭部の肉片を、受け取る方も受け取る方です
 
腹が減っていた では済まされないです。ゲテモノ喰らいの化け物
 




または食人鬼の末裔です





  
さらにこの、アンパンマンという男性は
 
ニュートン力学の法則を根底から覆し、突然、容易く浮遊してみせます危険です

 

 

何の躊躇もない、説明なき、前触れなき浮遊です。理由なき、夢なき、目的なき浮遊。慈悲なき、迷いなき、正解なき浮遊。終わりなき、果てしなき、際限なき浮遊。そこにlogicやbackgroundの類は、一切ないのです
 




  
「未確認浮遊臓器提供者」



読み方は、「あんぱんまん」 です
   
 

 

 

そして極め付けに、ジャム–オジサンを名乗る黒幕、戦慄のマッドサイエンティスト “Dr. Jam” による、生首移植というオペが恐怖を加速させます
 


 
生首を片手にした白髪の老人が、頭部の一部を失い瀕死状態の臓器提供者に向かい、



「新しい頭だよぅぅぅうう?」と囁きながら接近していくあのシーンはまさに
 


ジャパニーズホラーの真骨頂と言えるでしょう

 
 


アンパンマンは、これら空中浮遊や臓器移植にみられる圧倒的な技術力を保有しながらも、最終的に刺客との殺し合いのシーンでは、最新の化学兵器の類ではなく 「アンパンチ」 と呼ばれる右ストレートを主体とした素手での戦闘に終始し、

 


このことから彼のルーツがボクシングであることが分かります。





もし街でアンパンマンな男性を見かけた際には、決して近寄らず、石等を投げて威嚇することなく、速やかに距離をとり、冷静に警察を呼ぶようにしましょう。



こちらからは以上です。

新年をお迎えし、ふと気になり始めた2019年

 

皆様、あけましておめでとうございます。

 

 

 

人間だれしも、おじさんになるにつれ失敗を恐れるようになります。年月をかけて塗り上げたプライドにより、失敗というものに拒絶反応を示すようになる



しかし、失敗することは本当に恥ずかしいことなのでしょうか?





赤ちゃんを思い浮かべて下さい。彼らは自分のやり方で立ち上がり、ガムシャラに前に進み、転びながら歩き方を覚えていきます。誰かに歩き方を教わるわけではありません。転ぶことによって、失敗を重ねることで、歩き方を覚えるんです



そう、おじさんだって同じ。何歳になったって、失敗の中にしか「成長」はない

失敗を恐れて動かないおじさんというのは、転ぶことを恐れて歩き出さない赤ちゃんと何ら変わりありません。



良いじゃないですか、前のめりに転べば。そうやって前に進む姿は何歳になったって、無条件に美しいんです


 

という文章をいま書きました。どう見ても素晴らしい内容で、凄く良い事を言ってるなぁ、と我ながらアヘアヘしています、新年早々ご満悦です。

しかし、自分で書いておきながら腑に落ちないポイントがあります。一部、ロジックが非常に脆弱な箇所がある



そう、それは













「おじさんと赤ちゃんは、同じなのか 」









ここです。



おじさんが赤ちゃんであることさえ証明出来れば、「赤ちゃんも失敗しながら学ぶんだから、おじさんも失敗しながら学ぼう」というロジックが強固なものになります。

 

 

では、おじさんというのは、本当に赤ちゃんなのでしょうか?



まず生物学的属性の観点から分析すると、おじさんというのはヒト科の哺乳類であり、赤ちゃんもやはりヒト科の哺乳類であります。

この点で、おじさんと赤ちゃんはかなり近い部類の生き物だと想定することが可能です。馬よりもおじさんの方が赤ちゃんに近いですし、ガードレールよりも赤ちゃんの方がおじさんです





では、活動内容やその根源的な欲求はどうでしょう?

赤ちゃんという生き物は、生きる為に母乳を欲します。母乳を求め、母乳を探し、強い信念や気概を持ってママのオッパイを揉みまくります。怒濤のパイ揉みマシーンです。一方のおじさんはどうでしょうか?社会で抑圧され、妻とはセックスレス、行き場の無い性欲とストレスはオッパブへと流れ着き、オッパブ嬢のオッパイをこれでもかという程に揉みまくるではありませんか。戦慄のパイ揉みリビングデッドです



赤ちゃんは生きる為にママのオッパイを揉む。 おじさんは、生きる為にオッパブのオッパイを揉む。なるほど



やはり、おじさんというのは、赤ちゃんだったのです。

















という理論を打ち出しました。これにて、「おじさん=赤ちゃん」ということが証明されたでしょうか? いや、しかしよく考えるとまだ腑に落ちないポイントがあります。それは、

 

 

 

 

ママのオッパイは、オッパブのオッパイなのか









ここです。

ママのオッパイがオッパブのオッパイなのであれば、それが同じものなのであれば、「おじさんと赤ちゃんは同じものを揉んでいる」、よって、「全く同じことをしている」という結論を得るに至ります。そしてママのオッパイがオッパブのオッパイなのかというこの問いは、





 

ママは、オッパブなのか







と言い換えることが可能です。ママは、オッパブなのでしょうか。 オッパブというのは、本当に、ママなのでしょうか

そこで情報ソースを埋めるべく、同級生のママ、先輩のママ、年下のママなどに、

「ママは、オッパブなのか?」という設問を投げかけようかと思ったが、

これは確実にセクハラ的なサムシングに引っかかるのではないか?新年から何をこいつは言っているんだ?気でも違えたのではないだろうか?というか犯罪者?など思われるであろうと予想、このままではこのロジックを強固にするという目的が完遂する前に、

新年早々警察に突き出されるor社会的にDEATHのどちらかになる。

 

 

 

しかし諦めきれない私は、ママ中のママ、プロフェッショナルママである自分の母親に投げかけて見ることにした。

 

 

 

これであれば息子が最近おかしい……ぐらいの評価になるだろう。それならば甘んじて受け止めれるし、なんなら母親にお礼のお歳暮でも送っていい感じにまとめられるはずだ。

 

 

 

 

しかし、相当しつこく、再三に渡って母親に「ママはオッパブなのか」を問いただしましたが、ママ中のママでありプロのママでありママの権化である私のママへのヒアリングをもってしてなお、ママ=オッパブ、という確証を得る事は出来ませんでした。





つまり、ママはオッパブであるとは言いきれない







これらの考察により、おじさんが赤ちゃんとは言いきれないということが分かりました。すなわち「冒頭の命題が必ずしも正しいわけではない」という結論が導かれます。

 

 

 

 

ここまでの研究結果を考慮し、改めて命題の正しい解釈を以下に示したいと思います。















人間だれしも、おじさんになるにつれ失敗を恐れるようになります。年月をかけて塗り上げたプライドにより、失敗というものに拒絶反応を示すようになる



しかし、失敗することは本当に恥ずかしいことなのでしょうか?



赤ちゃんを思い浮かべて下さい。彼らは自分のやり方で立ち上がり、ガムシャラに前に進み、転びながら歩き方を覚えていきます。誰かに歩き方を教わるわけではありません。転ぶことによって、失敗を重ねることで、歩き方を覚えるんです



おじさんと赤ちゃんは、どちらもヒト科の哺乳類ですが、正確には同じとは言い切れません。なぜなら、ママがオッパブだと言い切れないからです。



よって、「何歳になったって失敗の中にしか成長はない」などとは、到底言い切れません。おじさんと赤ちゃんを同じ枠組みで説明することに、論理的な妥当性がないからです



同様に、「失敗を恐れて動かないおじさんというのは、転ぶことを恐れて歩き出さない赤ちゃんと何ら変わりない」という風に断定することも出来ません

この2つは、あくまで違う生き物の、違う所作という風にとらえ、これらは独立した事象として整理し、関係のない事柄として認識する必要があります。





では、なぜ私は突然「赤ちゃんを思い浮かべて下さい」などと言う、何の意味もない提案をしたのでしょうか。その点については深く反省しております。大切な時間と想像力を奪い、何ら意味の無い赤ちゃんなどという謎の生物の想像を強要し、誠に申し訳ない。かわりに、草原を思い浮かべて下さい



そこに、大きな湖があります。その奥には、キリンが見えるではありませんか。さて、キリンは何匹見えましたか?



そのキリンの数が、あなたが残りの人生で叶えられる、「夢」の数なのです。

 

 

 

 

 

 

 

新年に何を書いているんだ私は、そして読んでくれてありがとうございます。

あまりにも正月暇すぎておかしくなったのかもしれません、ぜひ呑みなどに誘ってください

 

今年もきっと1円にもならないこと書いていきます。

でもお金は大好きなのでなんでもやります。ぜひよろしくおねがいします。

 

 

今年もよろしくおねがいします。

年末は忙しいが、普段も忙しい人というのは社長的なサムシングなのだろうか?

 

皆さんの周りには、やたらと忙しそうにしている、「忙しいアピール」を繰り出すことに余念のない人がいますか? いますね? ウザいですね?



大丈夫です安心して下さい。私の周りにも、たくさんいます。やたらと忙しそうにしている社会人。いつも何かに追われている感のある社会人。





こういう、「忙しいアピールを繰り返してしまう人間」というのは、一体、何を考え、どこに向かっているのか。それが今、とても気になっています。



なぜ気になっているのかというと、何を隠そう自分自身がどこからどう見てもこの忙しいアピールを繰り返す人間以外の何者でもないからです。自分という男性が、やたらと忙しぶっています。我が口癖は、「ここのところバタバタしておりまして」。



つまり、「忙しいアピールを繰り返す人間は一体どこに向かっているのか」、という表題の問いかけは、「自分は一体どこに向かっているのか」と言い換えることが出来ます。気にならないわけがありません。自分の行き先なので。



※ 自分の行き先:マイ・ディスティネイション



さて、「忙しいアピール」を繰り出すことに躍起になり二言目にはバタバタしていると余計なアピールをしてくるこの私なのですが、冷静に振り返ってみると毎日のように寝る前にはドラガリアロストやパワプロのソシャゲをやっていますし、部屋でくつろぎながら熱心にNetflixも見ています。



実態はと言えば、何一つとして追いつめられてはいません。まだ余裕があります。つまり自分の口から出て来る「バタバタしている」というアレはただのハッタリ。サッカーで言うなればシミュレーションなのです。極めて悪質です。



では、他人を欺いてまで忙しさアピールを振りかざして来る自分には、どのような深層心理での欲求があるのでしょうか? まず考えられる可能性の一つは、色々なことを大目に見て欲しい、優しくして欲しい、という欲望でしょう。



今自分は手が回っていないんだ、今とても忙しくて大変な状態にあるんだ、だから色々なことを大目に見てくれ。それを相手に対して、暗に伝えたいのです。そして、「忙しさ」というものを様々な責任を逃れる為の「言い訳」にしたいと思っている。自らのフォルトに対し予防線を張っている。そういう節があります。



例えば、私はやるべきことなどの「納期」を時々、いや度々、いや頻繁に遅延してしまう傾向があるのですが、こういった「納期遅れ」は当然迷惑をかけているものであり、明確に罰せられるべきものであり、責任を追及されるべきものであり、それが原因で一族もろとも皆殺しにされたとしても何ら文句を言えない類いのものです。



そこで、私は普段からバタバタしているフリをすることで、この「納期遅れ」に対して入念に保険をかけています。「ああ、あの人は忙しいから仕方ない」と思ってもらいたい。どうにか責任を逃れたい。罪を軽くしたい。回避したい。許して欲しい。何という愚かな発想なのでしょうか。



※ 愚かな発想:ストゥーピッド・アイデア




そして、この“甘え”に近いタルんだ欲望に加え、「忙しさアピール」にはもう一つ、「自分は忙しくて手が回らない程色々な人に何かを求められている。俺は凄いんだぞ。」とアピールしたい気持ち、これも含まれているように感じられます。



「俺は忙殺される程に色々な仕事をしている。色々な人に色々なことを求められている。凄いだろう。どうだ。」これは、ある種のマウンティングです。



自分の「凄み」を説明するために、「忙しさ」というワケの分からない基準を持ち出したわけです。忙殺されるほどに色々なことをしている俺、皆に求められる俺、ドヤ。このような顕示欲が、明確に自分の中に見て取れます。



特にバンドマンのような非社会的な活動をしていると、人事評価のような客観的物差しが存在しない以上、自分の活動の「凄み」を客観的に人に説明することが難しくなります。暇を持て余していると思われてしまったら最後、プー太郎なんじゃないかと思われてしまいそうです。



そこで、「とにかく色々やっていて忙しい感」を持ち出すことで、婉曲的に凄みをアピールしているわけです。まさに愚の骨頂。出来るビジネスマンであれば、忙殺されている人間だから優れたアウトプットが出せる等とは微塵も思わないでしょう。



むしろ、自らのスケジュールをコントロールすることすら出来ない無能さをマザマザと露呈してきたとしか感じないはずです。意味がないどころか、忙しいアピールは明確に逆効果なのです。



※ 逆効果:ギャク・エフェクト






さて、こう振り返ってみると、やたら忙しさをアピールしたがる自分は、「忙しいから許してくれ」と弱さを出しながら、同時に、「俺は凄いんだぞ」と威嚇し相手をマウントしている、と捉えることが出来ます。



いや、本当に、今大変な状況なんです。色々とミスするかもしれませんが、許して下さい。いや本当に、非常事態でありまして…。…。ふっふっふ。それほどまでに求められてしまう…。俺は…凄い!!!



これは物凄い活動です。弱いフリをしながら、相手に強さを誇示する。言ってしまえば、骨粗しょう症であることを発表しながら喧嘩自慢をしているようなものです。童貞であることを伝えながらセックスの真髄を語っているようなものです。セクハラ反対! というデモを全裸で行っているようなものです。矛盾の怪物。骨粗しょう症のセクハラ童貞。一体自分は、何をやっているんでしょうか。



※ 骨粗しょう症:Bone・show・show・show-time!






とうとう気付きました。この忙しさをアピる活動、とても恥ずかしいので、金輪際やめた方が良い。忙しいアピールは、何も良い結果を生みません。自分の状況に関しては、いついかなる時も、「暇です」と答えるべきなのです。それが正解。



例えばなにか制作物などの納期が2月末にあったとして、気がつけば今の日付は3月2日、担当の方からは、まだですか〜と催促が来ております。



これからその制作物を添付し、そこに「バタバタしており遅れてしまいました……。すみません。」と書いて送ろうと思うはずですが、これは絶対にダメです。忙しいアピールは、言語道断。正解は、「最近、物凄く暇です。一方、提出は遅れました。」と書いて送付すること。



先方からは、「え、忙しいならまだしも、なんで暇なのに遅れたんですか?」と聞かれるでしょう。そしたらもうブチギレるしかない。「うっせえええええ! こっちは、暇なんだよ!!!!!!」



「暇で暇で、朝起きてから寝るまで、ほぼ何もしてねえええんだよ!!! ゴミクソニートの怠惰野郎、朝から晩迄ベッドの上でゴロゴロしてるだけなんだよゴラ分かってんのかァ??!??ァァンア!?!」



「昨日一日で成し遂げた主な活動はと言えば、“まばたき”と“クシャミ”たまに“あくび”くらいなんだよゴゥゥルゥゥウウウアアア!!!!! 俺はなぁぁあ、時間をなぁぁあ、持て余してんだよ!!!!!!!!!!! 腐る程あるぜ!!!時間がな!!!時間がゴミのようだあああ!!ひゅーーー!!!!!」



「それでもなお提出が遅れましたああああっぁぁぁああああっぁっっぁあ☆ウッフ〜ンんんんnペロペロピヨピヨ♡」



これで、万事解決です。ですよね?



※ 逆ギレ:やべーヤツ

 

 

今年最後のブログになるはずなので、自戒などを含め、反省と気持ちの整理などを書きました。

来年もみなさまよろしくお願いいたします。

 

 

年末の年末に、一儲けしたいと目論むアラサー

このブログをはじめて半年という歳月が経過した。熱心な更新にも関わらず1円の収益すら生み出さなかったこのブログも、ついに億千万円の大金を生み出す機会を得た。春が来たのだ。

インターネッツにはアフィリエイトなるものがあると聞いた。
資本主義の権化であり、金の亡者である私は、ボロ儲けするために鼻息荒く即座に検索、アフィリエイト商材の山を見つけ出した。
 

アフィリエイト。あまり詳しいことは分からないが、恐らくブログに広告みたいなの貼って、物を売れば良いんだろう。売れば売るほど、儲かる。



売る。さああああ売るぞ。ラーメンからロケットまで、なんでも売るとも。億千万円のために。さあ、何を売ってやろうか?

フンフンと鼻息を荒げアフィリエイト商材をぐるりと眺めていた時、
ある先輩の言葉を思い出した。「アフィリなら化粧品とかオススメだぞ」


この言葉を思い出した私はもはやこのアフィリエイト戦争に勝利したも同然なのではなかろうか?そして意気揚々と入念に、化粧品の商材を舐め回すように眺めた。


女性用かと思われる化粧品を、男性であるのみならず自分磨きに一切の関心が無い私が、突然、売る。うむ。素晴らしい。



むしろ私以上の適任は、そういないだろう...。任せて頂きたい。大船に乗った気持ちで大船に乗って頂きたい。この化粧品をブログで鬼畜のように売りまくり、私は億千万円を手に入れる。


そこで見つけ出した億万長者アイテムの名前は「アビエルタ パーフェクトモイスチュアセラム 」
名前を見るからに圧倒的なパワーを感じる。こいつが私を億万長者に導いてくれるに違いない、さぁ売って売って売りまくるぞ。



さあ、今回、皆さんが問答無用で買うべき化粧品は、こちらだ!!

 

 






まず、皆さんにこの化粧品を買って頂くにあたって、最強にして最高のアフィリエイトマンである私から1つだけ言わせて頂きたいのは、私はこの化粧品を一度も買ったことがないし、触ったことも見たことも無い、ということだ。




それどころの騒ぎではない。私はこの化粧品に一切の興味/関心が無いし、そもそもこれが、化粧品なのかどうかすらも、よく分かっていない。
「アビエルタ パーフェクトモイスチュアセラム 」と書いてある。


単語の区切り方が、よく分からない。パーフェクトまでは理解できるが、
モイスチュアの「セラム」なのか、モイスチュアセの「ラム」なのか。しかしこんな私でも、これがモイスの「チュアセラム」ではないこと、それだけは分かっている。


断言してもいい。あなたが今から買うこちらの商品は、「チュアセラム」以外の、何かだ。







チュアセラム以外 ↓
 
 
 
 
その正体はよく分からないものの、しかし1つだけ確実に言えるのは、この化粧品が売れると、幾分か私の収益に「なる」ということである。なお、この化粧品が売れても残念ながら皆さんの収益には「ならない」。





すなわち、いまから私が展開するのは他でもなく、営利目的の営業トーク。そう、これは利己的な考えのみから紡ぎだされた、他者をドン引きさせる程に自分本位な活動である。まさに押し売り。典型的な無理強い。歩く我田引水とは、私のこと。



その辺りを、充分にご理解頂きたい。



buy ↓
 
 
 
 
さて、そのような大前提にたった上で、一度もこの商品を手にしたことのない私からこの商品についてまず言えることは、この商品はとにかく「最高だ」ということである。正直に言おう、この商品は最高すぎる。



どこが最高なのか?それはもう、ありとあらゆる側面が、全体的に、めちゃくちゃ最高なのだ。全てのあらゆるそれが、普通の商品では考えられないような最高な感じになってしまっている。著しい最高。





「最高」という単語は、この化粧品を説明するために発明された形容詞なのだろうか?はい、その通り。それほどまでに、最高。無我夢中で手に入れることを、強くお勧めしたい。この「最高」を手に入れた時、その時が、あなたの人生のターニングポイントになるだろう。





人生のターニングポイント ↓
 
 
 
 
 
さて、具体的にこの商品が他と圧倒的に違うポイントは、どこなのか。それは、「パーフェクト」と名売っているだけあって、非常に多くの成分が、鬼のように配合されて黄金比によるパーフェクトな点だろうと推測される。



具体的に、何がパーフェクトなのか? それは、残念なことに私には全く分からない。



分からないのであくまで推測になってしまうが、恐らく乳液と化粧水、あとはクレンジングとシャンプーとリンス、あとは歯磨き粉にスタイリングワックスだろうか。加えて入浴剤と芳香剤、抗生物質と柔軟剤とグリセリン。それら全てがパーフェクトに配合されて、パーフェクト。お風呂上がりの肌に塗る。お風呂の中で頭皮につけてゴシゴシと洗う。喉が渇けば飲む。芝生に撒く。敵に向けて噴出する。





ここまでパーフェクトな商品が、今まであっただろうか?ない。一度だってなかった。全ての関係者が、口を揃えている。全ての関係者の口が、揃っている。つまり世界中の関係者の口がパーフェクト。口がパーフェクトされて、それがパーフェクトビューティー。wow, it's a wonderful world





wonderful world ↓
 
 
 
 
そして、化粧品には非常にウトいこの私が、しかしこの商品に関して力強く断言できる重要なポイント。そう、こんな私の目から見ても明らかな、際立った商品の特徴。それは、この商品が紛れも無く「円柱である」ということだ。広告の写真を見て欲しい。非常に円柱だ。





円柱であることの最大のメリットは何か?それは、「体積が求めやすい」ということだ。



そして、「体積が求めやすい」というのは、つまりどういうことか?それは、「最高」ということだ。





これまでの化粧品は、その価格や機能性ばかりに目を奪われ、「体積の算出容易性」という観点が置き去りになっていた。価格の競争に走り、機能の競争に走り、大企業病を煩った大手のメーカー達は、本質的な顧客のニーズから逸脱したフィールドでの戦いに終始した。イノベーションのジレンマ。しかし、この化粧品は違う。この化粧品の体積は本当に求めやすい。最高だ。





半径×半径×3.14×高さ。間違い無い。円柱はalways be with you。もう体積が求められずに右往左往する朝には、お別れを告げようじゃないか。





お別れを告げる ↓
 
 
 
 
買わない理由が、一体どこにあるだろうか?





どこにもない ↓

 
 
 
 
 
さあ↓
 
 
 
 
 
さあ買おう、他の誰のためでもない



この、わたしのために!!





for me ↓

 
 
 
 
..目を閉じれば、鮮明に浮かび上がる。化粧品を手に入れる、億千万の瞳。パーフェクトでパーフェクトな肌を手に入れて輝く、億千万の瞳

億千万↓
 
 
化粧品が売れれば売れるほどに、チャリンチャリンと音をたてて形成されていく、私の億千万円の財産。



アフィリエイトは大成功に終わり、人生が 何回あっても使い切れないほどの、巨万の富を手に入れ、化粧品の会社からは商品の販売に貢献したということで神のように崇められる日々。億千万な日々。そう、

 






 
 
 
そんな夢のような日々は、決して現実にならないということを充分に理解している。現実は厳しい。こんなにも売れている、最も素晴らしいはずのパーフェクトなモイスチュアセラム ですら、販売に当たって「無知」と「私利私欲」を全面に押し出したとたんに、1本だって売れない。





「精通していて、利他的である」これが、あらゆる営業活動の大前提。

 
 
 
 
 
 
こうして貴重な平日の昼間を活用して、またしても一円も生み出せなかった。恥ずべき歪んだエゴイズムを臆する事無く発表出来できたこと対する満足だけが少し手元に残り、いつもと変わらぬ不毛な木曜日が終わろうとしている。


しかしそんな今日は、ハイスタのライブを見に行くという素晴らしい日になるのだ。
ということはハイスタがパーフェクトなモイスチュアセラムだったのではないだろうか、そうに違いない。always in my heart"stay gold"
 
 
 
まぁ今日はこんな感じです。


会社員という生き物

 

出社をし、取引先に対してメールを打った。冒頭に、「お世話になります」をつけた。


するとそれに対する先方からの返信の冒頭には「お世話になります」がついていた。そして私は、そのメールに対して「お世話になります」から始まる返信を打った。予知しよう。


次の先方からのメールの導入文は、間違いなく「お世話になります」だ。先方は、次も、満を持してお世話になってくる。この読みに関しては、かなり自信がある。

 

そして、そのメールに対し、私はまたしてもお世話になるだろう。すると次には先方がお世話になってくる。すると私がお世話になる。無限お世話になります地獄。

 

 

 

 

 

社会人の皆様からしたら当たり前かもしれないが、この「お世話になります」の無意味で際限なき応酬は、日本社会の各地において当然のように日夜行われている。


大人達が、何かに取り憑かれたように一心不乱にメールの冒頭に「お世話になります」を挿入している。いつかその恐ろしい光景を、学生たちは目の当たりにするだろう。


私と取引先は、一体、どれだけお世話になりあうつもりなのだろうか。何故、毎回狂ったように同じ文言を付けるのだろうか。2人の男の間に存在する、無数の「お世話」達。


誰と連絡をするときも、いつ連絡するときも、まずは「お世話になります」。これはルールでありループ。もう、何度「お世話になります」という定型文をメールに打ち込んだことだろう。

今日も今日とて「お世話になります」を投げつける。

 

 

 

 

 

 

 

この、「お世話になります」という文言は、正直全くお世話になっていない人に対しても向けられる。簡単に言うと、このフレーズには何の意味もない。ただ、慣習として存在するので致し方なく毎回打ち込んでいる。

レゲェで言うヤーマンみたいなもの、あとはhey men とかワッツアップみたいなやつの社会人バージョン、


 

一つ問題があるとすると、余りにも一心不乱に「お世話になります」を繰り出し続けたことで、「お世話になります」のタイピングスピードが、いよいよアンビリーバブルなそれになってきているということだ。


o se wa ni na ri ma su 「space」『enter』 ここまで、キーボード上17個のボタンを押す必要があり社会人1年目の頃は1.16秒ほどの時間がかかってしまっていたが、7~8年も毎日「お世話になります」を打ち込んでいると、約0.07秒でそれを入力することが出来るようになる。


0.07秒という時間を聞いてもピンとこないかもしれないので言い方を変えよう。私は、1秒間に、およそ14個の「お世話になります」を入力することが出来る。毎秒14お世話。これは、社会人中堅のアベレージレベルだ。

 

 

 

社会人の「お世話になります」を押す時の指の動きを学生が見ると、そのあまりの指のスピードに目が追いつかず、逆に「指がゆっくり動いている」ように見えることだろう。


あまりの速度がゆえに、音速を超えた為に生じるソニックブームによりパソコンの画面にヒビが入ることしばしば、お世話になりますを押すことに躍起になり過ぎた指は恐ろしいほどに成長し、恐ろしく筋肉質に膨れ上がっている。


そんな筋肉の塊がなす、まさに電光石火の神業。極限を超えたスピードを前に、キーボード側は、「押された」事実に気付くことすらできてない。


「o」が押されたのとほぼ同じタイミングで画面上に現れる「お世話になります」の8文字。そして、それから少し経って、ババァァ〜ン!!!! という爆発音が辺り一面に響き渡る。そう。それは、遅れて聞こえてきた、キーボードを叩く音────


「お世話になります」が、音を、置き去りにしたのだ。

 

 

 

「お世話になります」を追求する猛者達による『業』の争いは、熾烈を極める。


社会人の中堅クラスを超え、年齢的にも成熟したシニアクラスの猛者になってくると、スピードの限界を超える者が現れ始める。


彼らは、人生の大半をかけて「お世話になります」を入力し続けてきたのだ。来る日も来る日もオフィスでお世話になる。管理職になってもお世話になり、役員になってもお世話になり、お世話になる。


やがてその速度は音速を越え、光速を越え、彼らは、


o se wa ni na ri ma suを入力しようと念じ、キーボード上の「o」ボタンを睨みつけた瞬間、突如、何の前触れもなくパソコン画面上に現れる「お世話になります」の文字。そう───


真の強者は、キーボードに触れることなく「お世話になります」を入力するのだ。

 

 

 

 

 

「お世話になります」以外に、以下のような技を見たことがあるのではないだろうか?




「いつもお世話になっております」




「平素大変お世話になります」




これらは、「お世話になります」から派生したサブウェポンだ。


お世話になります攻撃において、技を繰り出す際に重要になるのは、まず頻度を示す「いつも」or「平素」を冒頭につけるかどうか。どちらもつけないことも可能。


次に「大変」という強調語をつけるかどうかのオプションがある。つけなくても良い。


次に「お世話に」。これは、技の中核をなすエネルギー源であり、マスト装備だ。ここを飛ばして、「平素大変なります」は成り立たない。「お世話に」は絶対に搭載しないといけない。


最後に、締めを、「なります」or「なっております」から選択する。これによって技が完成する。


つまり、単純に、3 × 2 × 2で、12通りの技があると思って頂ければ良い。この12個の技の中から、最も相手に対して有効な技を選択し、柔軟にそれを繰り出して攻撃する。平素お世話になります! いつも大変お世話になります!


平素大変お世話になっております!!! 平素Hey SOいつも大変とってもお世話セワSay, wow! になっておりメーン!!チュキチュキ(DJのスクラッチ音)



 

会社に入社し取引先にメールを打つその時、直属の先輩や上司から指導が入るだろう。メールの冒頭に、「お世話になります」を入れろ、と。


毎回入れる意味あるんですか? 意味なくないですか? 

と聞き返してはいけない。

それは格闘家に対して、暴力は良くないんじゃないですか?

と聞いているようなもの。彼らの存在を否定することになりかねない。


 

彼らはメールを補完する為に、手段として冒頭に「お世話になります」を打っているのではなく、自らの「お世話になります」を相手に叩き付けるためにメールを打っているのだ。「お世話になります」こそが主題であり表題であり、本質。

お世話になります以下にベラベラと何か書いてあると思うが、あれは全て戯れ言だ。


「はい」、と先輩の指示に従い貴方がはじめて「お世話になります」を入力した時、その時ついに貴方は格闘家として産声をあげることになる。


 

 

 

 

 

なんだこれは、メールとかの冒頭で使う「お世話になります」ってなんで使うんだろう?必要か?とか考えてたらこんな事になってしまった。

0.07秒とかなんだよそれ、化物かよ、怖っ、ビジネスマン怖っ

 

 

「真の強者はキーボードに触れることなく『お世話になります』を入力する」

ってアホか、もはやMARVELのキャラクターだろそんなもん

 

 

 

まぁ今日はこんな感じです。